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【通信】第4章:デジタル通信の夜明け ― コンピュータが情報を運ぶ時代へ

20世紀の半ば、世界はすでに電話によって「声でつながる」時代を手にしていた。 遠く離れた家族の声が届き、企業は電話で取引を進め、国と国がリアルタイムで交渉できるようになった。 人類は、ついに“距離”という壁を越えたかに見えた。

しかし、その裏側で静かに、しかし確実に、通信の限界が迫っていた

企業は膨大なデータを扱い始め、科学者は計算結果を瞬時に共有したいと願い、行政は情報処理の高速化を求めた。 そしてコンピュータが誕生し、世界は“声”ではなく“情報”を求め始める。

電話は声を運ぶには十分だった。 だが、これからの時代を支えるには、あまりにも非力だった。

「声だけでは、世界は動かせない」

そう気づいた瞬間から、通信は新しい進化を始める。アナログからデジタルへ。波そのものを送る時代から、0と1という記号を送る時代へ。人類は通信の革命、その最初の足を踏み出したのである。

モーションウィジェット
  1. アナログ通信の限界(1940〜1960年代) ― 声の時代が終わり始めた理由
  2. 0と1の革命(1950〜1970年代) ― デジタル化という思想の転換
  3. 回線交換の限界(1960年代) ― 電話の仕組みではデータは運べない
  4. パケット通信の誕生(1961〜1969年) ― 世界を変えた“分割”という発想
    1. 1961年:パケット通信の理論が誕生
    2. 1966年:ARPANET計画が始動
    3. 1969年:ARPANETが世界で初めて動く
    4. 誤り検出・訂正技術の進化 ― デジタルが生んだ“安全性の革命”
  5. モデムの登場(1960〜1980年代) ― 家庭にデジタル通信がやってきた
    1. ■ 1960年代:軍事・研究用途での利用
    2. ■ 1970年代:企業ネットワークで普及
    3. ■ 1980年代:家庭へ
    4. 1980〜1990年代:パソコン通信の時代
  6. 光ファイバーと衛星通信(1970〜1990年代) ― デジタル時代の大動脈
    1. 光ファイバー(1970年代研究 → 1980年代実用化)
    2. 衛星通信(1960〜1990年代)
    3. 光と衛星がつくった“地球規模ネットワーク”
  7. 日本のデジタル通信(1970〜1990年代) ― INSからISDNへ
    1. 1970年代:INS構想 ― 日本が描いた“未来の通信網”
    2. 1980年代:ISDNの普及 ― 音声とデータを一本化する
    3. 1985年:電電公社の民営化 ― デジタル化を加速させた転換点
    4. 日本はなぜ世界をリードできたのか?
  8. デジタル通信がもたらした“情報社会”の始まり(1990年代)
  9. 次章への橋渡し ― インターネットの誕生へ(1990年代後半)

アナログ通信の限界(1940〜1960年代) ― 声の時代が終わり始めた理由

第二次世界大戦後、世界は急速に復興し、1950年代には電話網が世界中に広がっていった。 しかし、社会の変化はそれを待ってくれなかった。1950〜60年代にかけてコンピュータが誕生し、企業や研究機関へと急速に普及し始めたことで、社会は “声” だけでは処理しきれないほどの情報を扱うようになっていった。

こうして、各分野で「より多くの情報を、より速く扱いたい」という要求が高まっていく。

  • 1950年代後半:企業が大量のデータ処理を開始
  • 1960年代初頭:科学研究において、分散されたコンピュータ間での計算資源の共有が必要
  • 1960年代:行政が情報処理の高速化を求める

ここで通信は初めてこう問われる。

「声ではなく、データを送りたい」

しかしアナログ通信には、構造的な限界があった。

  • ノイズに弱い(距離が伸びるほど劣化)
  • 情報量が少ない(電話回線は3kHz前後)
  • 再現性が低い(完全一致ができない)
  • 線を占有する(回線交換方式の非効率)

アナログ通信は「声の時代」には十分だったが、 「情報の時代」には耐えられなかった。

0と1の革命(1950〜1970年代) ― デジタル化という思想の転換

アナログが「波そのものを送る」のに対し、デジタルは「波を数値化して送る」という思想である。音や画像を「標本化(サンプリング)」し、「0と1」という離散的な記号に変換することで、通信のあり方は一変した。

  • ノイズに強い(0か1かの判定だけで復元できる)
  • 劣化しない(コピーしても品質が落ちない)
  • 高度な処理が可能(圧縮・暗号化・誤り訂正)
  • 大量の情報を扱える

デジタル化は、「情報を正確に、速く、遠くへ」運ぶための革命 だった。

回線交換の限界(1960年代) ― 電話の仕組みではデータは運べない

電話網は19世紀から続く「回線交換方式」を採用していた。 これは、発信者と受信者のあいだに“専用の線”を一本つなぎ、その線を会話が終わるまで占有する仕組みだ。 声を届けるには理想的だったが、データ通信が始まると、この方式の弱点が一気に露呈する。

まず、回線交換は 「つないだら、ずっと占有」 という構造を持つ。

  • 1対1で線を占有する
  • 話していない“沈黙の時間”も線がふさがる
  • 大量のデータを送ると、すぐに回線が埋まってしまう

この非効率さを、当時の技術者たちはよく 道路 に例えた。

回線交換は、1台の車が1本の車線をずっと占有し続ける道路のようなもの。 他の車は、その車線が空くまで永遠に待つしかない。

データ通信が求めるのは、 「必要なときだけ少しだけ通れればいい」という柔軟な仕組みだった。

そこで生まれたのが、後に世界を変える パケット通信 の発想だ。

パケット通信は、情報を小さな“封筒”に分けて郵便のように流す方式。 封筒は空いている道を自由に選び、別々に届いても最後に元の形に組み立てられる。

1960年代に入ると、 「線を占有する通信」から脱却しなければ、データ社会は支えられない という認識が世界中で共有され始めた。

パケット通信の誕生(1961〜1969年) ― 世界を変えた“分割”という発想

パケット通信の発想は、 「情報をそのまま流す」のではなく、 “小さく分割して送り、最後に組み立て直す” という革命的な考え方だった。

この思想が生まれた背景には、 回線交換方式ではデータ通信を支えられないという危機感があった。

1961年:パケット通信の理論が誕生

アメリカのポール・バラン、イギリスのドナルド・デイビスらが、 「情報を細かく分割して送る」 という新しい通信方式を提案した。

この方式では、 分割されたパケットがネットワーク上の空いている経路を自由に選び、 別々に届いても最後に元の形に組み立てられる。

“道路を専用で占有する”回線交換に対し、 “封筒を郵便で流す”ような柔軟な通信方式だった。

1966年:ARPANET計画が始動

アメリカ国防総省(ARPA)は、 核攻撃で一部の通信網が破壊されても通信が続く
分散型ネットワーク を求めていた。

パケット通信は、この要請にぴったり合致した。

1969年:ARPANETが世界で初めて動く

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)と スタンフォード研究所(SRI)が接続され、
世界初のパケット通信ネットワーク が誕生した。

これは、 インターネットの“原型” だった。

誤り検出・訂正技術の進化 ― デジタルが生んだ“安全性の革命”

パケット通信が強力だった理由は、 単に分割して送るだけではない。

デジタル化によって、 途中で壊れたパケットを再送したり、 計算で復元したりできるようになった のだ。

これはアナログ通信では不可能だった仕組みで、 ネットワークの信頼性を飛躍的に高めた。

デジタルだからこそ実現した“安全性の革命”。

この技術があったからこそ、 世界中のネットワークをつなぐインターネットが成立した。

モデムの登場(1960〜1980年代) ― 家庭にデジタル通信がやってきた

電話線はアナログだった。 そのアナログ回線に、0と1のデジタルデータを流すために生まれたのが モデム である。 モデムは、デジタル信号を“音”に変換して電話線に乗せ、受信側で再びデジタルに戻すという、 アナログとデジタルの世界をつなぐ橋渡しの装置 だった。

■ 1960年代:軍事・研究用途での利用

初期のモデムは、軍事通信や研究機関で使われ、 離れたコンピュータ同士を電話線でつなぐための重要な手段となった。

■ 1970年代:企業ネットワークで普及

企業がコンピュータを導入し始めると、 拠点間でデータをやり取りするためにモデムが広く使われるようになる。 アナログ回線をそのまま使えるという利点は、コスト面でも大きかった。

■ 1980年代:家庭へ

家庭用パソコンが普及すると、 モデムはついに一般家庭へと広がっていく。 あの「ピーヒョロロ…」という独特の接続音は、 データを音に変換して送っていた証拠である。

1980〜1990年代:パソコン通信の時代

モデムの普及は、家庭にまったく新しい文化をもたらした。
電話線1本で、家の中から外の世界へつながるという体験が、初めて一般の人々の手に届いたのだ。

  • BBS(電子掲示板)
  • ダイヤルアップ接続
  • メール・チャット・オンラインゲームの黎明期

これらはすべて、モデムと電話線が生み出した“家庭内ネットワーク文化”だった。

人々は、画面の向こうにいる見知らぬ誰かと情報を交換し、 小さなコミュニティを作り始めた。 この「個人がネットワークに参加する」という体験こそが、 後に世界を変えるインターネット文化の 原型 となる。

パソコン通信の時代は、インターネットが社会に広がる直前の“夜明け前”。 その文化と体験が、インターネット時代の土台をつくった。

光ファイバーと衛星通信(1970〜1990年代) ― デジタル時代の大動脈

光ファイバー(1970年代研究 → 1980年代実用化)

― 光が通信を変えた瞬間

光ファイバーの発想は、 「電気ではなく “光” で情報を送る」という大胆なものだった。
1970年代、ガラスの純度を極限まで高める技術が確立し、 光が長距離でもほとんど減衰しない
“夢の通信路”が誕生する。

光ファイバーがもたらした変化は桁違いだった。

  • 超高速(光の速度に近い伝送)
  • 超大容量(銅線の数百〜数千倍)
  • 劣化が少ない(長距離でも品質が落ちない)

特に重要なのは、 「1本の光ファイバーに複数の光を同時に流せる(WDM)」 という技術の登場だ。これにより、 一本の線で“何十本分もの通信”が可能になり、 インターネットの爆発的普及を支える土台が整った。

光ファイバーは、インターネットの大動脈。 世界中のデータは、いまも海底の光ファイバーを走り続けている。

衛星通信(1960〜1990年代)

― 地球を丸ごとつなぐ視点の誕生

衛星通信は、光ファイバーとはまったく異なるアプローチで “地球規模の通信” を実現した。
1960年代、初期の通信衛星が打ち上げられ、 地球の裏側とリアルタイムで通信できる時代が始まる。

衛星通信の役割は次の3つに集約される。

  • 海底ケーブルの補完(海を越える通信のバックアップ)
  • 災害時の通信確保(地上インフラが壊れても通信可能)
  • 地球規模のネットワーク(離島・僻地・船舶・航空機など)

特に重要なのは、 「地上インフラに依存しない通信」 を実現した点だ。光ファイバーが“地上の大動脈”なら、 衛星通信は“空から支える生命線”。両者が組み合わさることで、 世界は初めて 「どこでもつながる」 という概念を手に入れた。

光と衛星がつくった“地球規模ネットワーク”

光ファイバーが高速・大容量の通信を支え、 衛星通信が地球規模のカバー範囲を補完したことで、 デジタル通信はついに 地球全体をひとつのネットワーク に変えた。

インターネットは、光の道と宇宙の道が交差して生まれた。

日本のデジタル通信(1970〜1990年代) ― INSからISDNへ

日本は世界でも早い段階から、 「音声中心の電話網」から「情報を扱うデジタル通信網」への転換を国家レベルで進めていた。

1970年代:INS構想 ― 日本が描いた“未来の通信網”

1970年代、日本は INS(Information Network System)構想 を打ち出す。 これは、音声・データ・映像をひとつのネットワークで扱うという、 当時としては非常に先進的な国家プロジェクトだった。

  • 行政の情報化
  • 企業のオンライン化
  • 社会全体のデジタル化

を見据えた、日本独自の “未来図” だった。

世界がまだ「電話=音声」の時代に、 日本はすでに「情報ネットワーク社会」を構想していた。

1980年代:ISDNの普及 ― 音声とデータを一本化する

INS構想を具体化した技術が ISDN(Integrated Services Digital Network) だ。

ISDNは、 音声とデータを同時に送れるデジタル回線 として1980年代に普及し始めた。

  • 高品質なデジタル音声
  • 安定したデータ通信
  • 企業ネットワークの基盤として採用

特に企業では、 オンラインバンキング、POSシステム、拠点間通信など、
“デジタル化の初期インフラ” として大きな役割を果たした。

1985年:電電公社の民営化 ― デジタル化を加速させた転換点

1985年、電電公社が民営化され NTT が誕生する。 これは日本の通信史における大きな転換点だった。

  • 競争原理の導入
  • 新サービスの開発促進
  • デジタル通信の普及スピードが加速

通信自由化は、
デジタル通信を “国のインフラ” から “社会のサービス” へと変えた政治・経済的エンジン だった。

日本はなぜ世界をリードできたのか?

日本が1980〜90年代にかけて世界をリードできた背景には、 いくつもの要因が重なっていた。

高度経済成長によって通信需要が急増し、 企業も行政も「より速く、より正確な情報処理」を求めるようになった。 その需要に応えるため、日本には優れた技術者層が育ち、 通信技術の研究開発が一気に進んでいく。

さらに1970年代には、 音声・データ・映像を統合する未来の通信網を描いた INS構想 が国家プロジェクトとして動き出した。 世界がまだ “電話=音声” の時代に、 日本はすでに “情報ネットワーク社会” を見据えていたのである。

そして1985年、電電公社の民営化によって NTT が誕生する。 競争原理が導入されたことで新しいサービスが次々と生まれ、 デジタル通信の普及は一気に加速した。

こうした経済・技術・政策の流れが重なり、 日本は1980〜90年代にかけて 世界でも有数のデジタル通信先進国 となった。

INSとISDNで築かれたこの基盤は、 後に日本でブロードバンドが急速に普及するための 確かな“土台” となった。

デジタル通信がもたらした“情報社会”の始まり(1990年代)

1990年代に入ると、デジタル通信は世界の標準となり、 人類のコミュニケーションは根本から変わり始めた。

それまで通信は「声」を届ける技術だった。 しかしデジタル化によって、
通信は 音声 → データ → 情報 へと進化する。

デジタルデータは、 コピーしても劣化せず、世界中で同じ品質のまま共有できる。
これはアナログ時代には不可能だった “情報の複製と流通” を可能にした。

さらに、デジタル化は情報の価値そのものを変えた。

  • 情報が経済を動かす
  • 情報が企業の競争力になる
  • 情報が国の成長戦略になる
  • 情報が文化をつくる

つまり、情報は “資源” になった。

1990年代は、 通信が「声を運ぶ技術」から「世界を動かす情報インフラ」へと変わった時代 だった。

この変化は、後にインターネットが社会の中心となるための 決定的な土台 となった。

次章への橋渡し ― インターネットの誕生へ(1990年代後半)

デジタル通信が社会を変えたとはいえ、 1990年代の世界はまだ、無数のコンピュータが点在するだけだった。 それらの点を結び、ひとつの大きな網へと変えるためには、 国や企業の違いを超えて “同じルールで話す” 仕組みが必要だった。

その共通言語――プロトコルの誕生が、 インターネットという巨大なネットワークを生み出すことになる。

ここから、 世界をひとつにつなぐ物語が始まる。

第4章 終了


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