
電話は、長いあいだ「機械の音が聞こえる道具」だった。
受話器を取れば、 どこか遠くの電話局で交換機が動き、 パチパチと接点が切り替わり、 ガチャガチャと回線が選ばれていく。
電話は、 動いていることが“音”でわかる機械だった。
しかし、電話が社会の中心に座るようになると、 その機械は限界を迎え始める。
- 通話が増えすぎる
- 機械が摩耗する
- ノイズが混じる
- 長距離で音が劣化する
便利になればなるほど、 アナログの仕組みはその重さを露わにしていった。
「もっと速く、もっと確実に、もっと遠くへ」
社会の要求は、 もはや機械式の交換機では支えきれない。
そして電話は、 静かに、しかし確実に “電子の世界”へと歩み始める。
機械が動く音は消え、 交換機は静かに、正確に、膨大な通話を処理するようになる。
電話はここで、 見える機械から、見えない仕組みへ。
アナログからデジタルへ。 物理から電子へ。 電話は、次の時代へ踏み出す。
電話の歴史シリーズ
全体目次(第1回〜最終回)
- 第1回:電話が生まれる前 ― 人類の通信の歴史
- 第2回:世界編(電話の誕生)
- 第3回:人物編(電話を作った人々)
- 第4回:日本に電話がやってきた
- 第5回:自動交換機とダイヤル式の時代
- 第6回:デジタル化とISDN
- 第7回:携帯電話の誕生と普及
- アナログ電話の限界
- 電子交換機の登場
- NTT民営化と通信自由化
- ISDNの登場 ― 電話網が“完全デジタル化”した瞬間(1988〜)
- モデムとインターネット前史 ― ピーヒョロロ音がつないだ時代(1990年代)
アナログ電話の限界
電話は社会のすみずみまで行き渡ったが、 その便利さの裏で アナログという仕組みの限界 が静かに姿を現し始める。
電話はつながる。 しかし、質が追いつかない。
アナログ信号の宿命 ― ノイズと減衰
アナログ電話は、声そのものを電気の波として送る仕組みだった。 そのため、距離が伸びるほど
- 音が弱くなる(減衰)
- 雑音が混じる(ノイズ)
- 声が歪む
といった問題が避けられなかった。
長距離通話では、 「聞こえるけれど、はっきりしない」 そんな不満が常につきまとった。
増幅器のジレンマ
アナログ信号を遠くまで届けるために、途中に 増幅器 を置いて信号を強くした。 しかしアナログの厄介な点は、
ノイズも一緒に大きくしてしまう
ということだった。
遠くへ行くほど雑音も育つ どれだけ増幅しても元の音質には戻らない 劣化は蓄積し続ける
これはアナログの構造的な限界であり、 努力では克服できない問題だった。
アナログ時代の“恐怖” ― 混信(クロストーク)
アナログ回線では、隣の線に電気が漏れ、 他人の会話が聞こえてしまう 混信 が起きた。
これは、プライバシーを守るべき通信手段としては致命的だった。
プライバシーの欠如
他人の会話が聞こえる 企業の機密が漏れる 緊急通話が聞き取りづらくなる
自動交換でプライバシーを得たはずの時代に、 技術的欠陥がそれを脅かしていた。
機械式交換機の限界 ― 動く部品の限界
ステップ・バイ・ステップ交換機は偉大な発明だったが、 物理的な限界を抱えていた。
- 部品が摩耗しやすい
- 故障が増える
- 保守に人手が必要
- 都市化によるトラフィック増に対応できない
電話局では、交換機の「パチパチ音」が鳴り響き、 技術者たちが常に修理に追われていた。
電話局が“機械の倉庫”になる
ステップ・バイ・ステップ交換機は、 巨大な棚のような機械を何列も並べて構成されていた。
電話局は機械を収めるための巨大な倉庫 加入者増加のたびに設備を増設 都市部では土地そのものが足りなくなる
アナログの仕組みは、 物理的にも限界に近づいていた。
社会が求めたもの ― もっと速く、もっと確実に
高度経済成長が始まると、社会は電話に新しい要求を突きつけた。
- 全国規模で連絡したい
- 行政は迅速な情報伝達を求める
- 家庭でも電話が当たり前になり回線が逼迫
「つながればいい」から 「いつでも、確実に、クリアにつながる」 へ。
アナログ vs 社会の要求
| 課題 | アナログの現実 | 社会の理想 |
|---|---|---|
| 音質 | 距離で劣化・ノイズ混入 | どこまでもクリア |
| 接続 | 物理スイッチ依存(低速) | 瞬時の接続 |
| 保守 | 摩耗・清掃・交換が必須 | 故障しない |
| 拡張 | 設備増設に広大な土地 | 省スペースで大量収容 |
アナログでは、もはや社会の要求を支えきれなかった。
アナログの限界が、次の時代を呼び寄せた
ノイズ、減衰、混信、摩耗、トラフィック増、物理的限界。 これらは電話を “電子の世界” へと押し出していった。
電子交換機の登場
アナログ電話網は、ノイズ・混信・摩耗・物理的限界など、 避けられない問題を抱えていた。
その限界を超えるために、 1960年代後半〜1970年代 に世界中で導入が進んだのが 電子交換機(Electronic Switching System:ESS) である。
ここから電話は、 「動く機械」から「電子で制御される仕組み」へ 大きく姿を変えていく。
交換機の進化 ― 物理から電子へ
電話交換機は、約100年の間に 物理 → 機械 → 電子 → ソフトウェア という進化をたどった。
第1世代:ステップ・バイ・ステップ(1890s〜1970s)
- 利用者のダイヤル操作が機械を直接動かす
- カチッ、カチッ と接点が動く
- 機械的で摩耗しやすい
- 収容規模:数百〜数千回線
第2世代:クロスバ交換機(1930s〜1980s)
- 縦と横のバーを交差させて接点を作る
- 共通制御方式で空きルートを高速探索
- ガチャン、ガチャン と重厚な音
- 収容規模:数千〜1万数千回線
第3世代:電子交換機 ESS(1970s〜)
- 半導体・IC・メモリで制御
- ほぼ無音(冷却ファンの音のみ)
- プログラムで動作を決める
- 収容規模:数万〜数十万回線
この進化だけでも、電子交換機が“桁違い”であることがわかる。
クロスバ交換機 ― “縦と横”で効率化した中間世代
クロスバ交換機は、ステップ式の弱点を大きく改善した。
- 縦と横のバーを交差させて接点を作る
- 共通制御方式で空きルートを一気に探索
- 大規模化に強い
しかし、限界も残った
物理的な接点 機械的な動作 摩耗による故障
これらは避けられなかった。
電子交換機の本質 ― “プログラムが電話をつなぐ”
電子交換機の最大の革命は、 接続のルールを 「配線」ではなく「プログラム」 で決めるようになったことだ。
これを SPC(Stored Program Control:蓄積プログラム制御) と呼ぶ。
- 機械を作り替えなくてもサービスを追加できる
- ソフトウェア更新で機能を拡張できる
- 電話が“コンピュータ化”した瞬間
SPCが可能にした新しいサービス
転送電話 キャッチホン(割り込み通話) ナンバーディスプレイ 着信拒否 時間帯別サービス
電子交換機は、 “電話の機能”そのものを進化させる土台になった。
自動交換機の「1台あたり収容回線数」の飛躍
電子交換機は、 1台で扱える回線数が桁違いに増えた。
世代別の代表的な収容規模(1台あたり)
| 世代 | 方式 | 代表的な収容規模 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 第1世代 | ステップ・バイ・ステップ | 数百〜数千回線 | 巨大な棚が何列も必要 |
| 第2世代 | クロスバ | 数千〜1万数千回線 | 大規模局に対応 |
| 第3世代 | 電子交換機 ESS | 数万〜数十万回線 | 都市全体を1台でカバー可能 |
この“収容力の飛躍”こそ、 都市化と通信量の爆発的増加に耐えられる理由だった。
電話局の風景が変わる ― 巨大な棚から電子ラックへ
ステップ式交換機の時代(〜1970年代)、 電話局は巨大な棚のような機械が何列も並ぶ「機械の森」だった。
電子交換機の導入(1970年代後半〜1990年代)により、 その風景は劇的に変わる。
- 巨大な棚 → コンパクトな電子ラック
- 広大な床面積 → 少ないスペースで大量収容
- 騒音のある機械室 → 静かな電子制御室
メンテナンスの革命
以前:接点の掃除、油差し、摩耗部品の交換 電子化後:基板を差し替えるだけ
インフラ運営の合理化は、 ここで一気に進んだ。
電子交換機が変えたもの ― 電話の「当たり前」が変わる
電子交換機の導入は、 単なる技術革新ではなかった。
それは、 電話という社会インフラの前提を変える出来事だった。
- 通話品質が安定する
- 接続が速くなる
- 混信がほぼ消える
- 長距離でもクリアに聞こえる
- 故障が減り、止まらない電話網が実現する
電子化がもたらした“見えない安心”
交換機が静かに働き続ける 通話が安定し、品質が均一になる 社会全体が“電話に依存できる”ようになる
電子交換機は、 電話を「社会の基盤」として完成させた。
NTT民営化と通信自由化
電子交換機の普及によって、 日本の電話網は「止まらない・高品質・大規模」なインフラへと進化した。
しかし、その前提には 「国が通信を握っていた時代」 が長く続いている。
この章ではまず、 いつ・なぜ国営になり、いつ・なぜ民営化されたのか という流れを押さえたうえで、 通信自由化の意味を見ていく。
国営の始まり ― 電話は「国家の仕事」だった
日本の電話は、最初から民間ビジネスだったわけではない。 むしろ長いあいだ、国が直接運営するインフラ だった。
電話事業の国営化
- 1890年代:電話事業が本格的に国営化
- 電信(電報)と同様に、国家が管理すべき重要インフラと位置づけられた
- 軍事・行政・外交に不可欠な通信手段だったため
その後、戦前・戦中を通じて、 電話・電信は一貫して 国の直営事業 として運営される。
戦後の再出発 ― 日本電信電話公社の誕生(1952年)
- 1952年:日本電信電話公社(電電公社)発足
- それまでの逓信省直営から「公社方式」へ
- 国が全株を持つが、企業的な経営を行う組織として再編
- 戦後復興とともに、全国への電話普及を一気に進める役割を担う
ここから 1950〜70年代の「電話網の全国整備」 が進み、 第1章・第2章で見てきたような アナログ交換機 → クロスバ → 電子交換機 という技術進化も、この公社体制のもとで行われた。
電電公社からNTTへ ― 1985年の大転換
戦後の日本の通信を支えてきたのは、 国営企業である 日本電信電話公社(電電公社) だった。
しかし1980年代に入り、世界的に 「通信は競争で発展する」 という考えが広がり始める。
日本もその流れに乗り、 1985年4月1日、電電公社はNTTへと民営化された。
民営化の背景
- 電話が全国に普及し、「独占で整備する段階」が終わりつつあった
- 電子交換機の普及で通信の安定性が飛躍的に向上していた
- 新サービスを迅速に提供するには、民間の機動力が必要だった
- 世界的に通信自由化・民営化の流れが加速していた
「国が整える時代」から「競争で磨く時代」へ。 その境目が、1985年だった。
通信自由化 ― 新電電(NCC)の登場
民営化と同時に、 日本は 通信自由化 に踏み切った。
それまで電話サービスは電電公社の独占だったが、 1985年以降は民間企業も参入できるようになった。
- 長距離電話:DDI(第二電電)、日本テレコム など
- 国際電話:KDDとの競争
- データ通信:専用線・パケット通信の競争
自由化がもたらした変化
料金が下がる サービスが多様化する 企業が競争で品質を高める 新技術の導入が加速する
特に長距離電話の料金競争は激しく、 「市外通話が安くなる」という実感を多くの家庭が持った。
相互接続(インターコネクション) ― 競争を可能にした“見えない技術”
自由化が成立した最大の理由は、 新規参入企業(NCC)がNTTの回線と接続できたこと にある。
これを インターコネクション(相互接続) と呼ぶ。
電子交換機が果たした役割
電子交換機は、 物理的な工事を最小限にしながら、論理的に回線をつなぐ ことができた。
- 新電電の回線とNTTの回線をソフトウェアで接続
- 交換機同士が自動でルートを選択
- 事業者が増えてもネットワークが混乱しない
もし交換機が機械式のままだったら、 自由化は「工事だらけ」で現実的ではなかった。
電子交換機は、 自由化を技術的に支えた“縁の下の力持ち” だった。
料金体系の変化 ― 距離の壁が消えていく
自由化以前、長距離電話は非常に高価だった。
- 市内:比較的安い
- 市外:高い
- 県外:さらに高い
- 国際:桁違いに高い
しかし 自由化+電子化+光ファイバー化 が進むことで、 距離によるコスト差が徐々に意味を失っていく。
「一律料金」「定額制」への第一歩
- デジタル化で距離による減衰がほぼ消える
- 中継交換機のコストが下がる
- 競争で料金が下がる
- 利用者が「距離を気にしない」時代へ
現代の「全国一律料金」「かけ放題」「定額制」は、 この1985年前後の構造変化の延長線上にある。
端末自由化 ― 家庭の電話が“選べる”ようになった
1985年は、回線だけでなく 電話機そのものも自由化(端末自由化) された年でもある。
それまで家庭の電話は 電電公社からの貸与(黒電話) が基本だった。
自由化後は、
- コードレス電話
- 多機能電話
- デザイン電話
- 留守番電話機能付き電話
など、家庭に“選ぶ楽しさ”が生まれた。
「家の電話を選べるようになった」 これは、読者にとって最も身近な自由化の実感かもしれない。
「選ぶ」時代の象徴 ― 識別番号 0077・0088
自由化直後、 長距離電話をどの会社でかけるかは 識別番号をダイヤルの前に付ける ことで選んだ。
- 0077 → DDI(第二電電)
- 0088 → 日本テレコム
番号を覚えて、 「今日はこっちの会社でかけてみよう」と選ぶ。
“選ぶ通信”が、指先の操作として可視化された瞬間 だった。
独占 vs 自由化 ― 何がどう変わったのか
| 項目 | 電電公社(国営・独占)時代 | NTT・NCC(民営・自由化)時代 |
|---|---|---|
| 事業主体 | 国営(公社) | 民間企業(NTT+NCC) |
| 端末(電話機) | 公社からの貸与(黒電話中心) | 好きな電話機を購入可能 |
| 長距離料金 | 非常に高価 | 競争で大幅値下げ |
| 新機能の追加 | 機械交換が必要(年単位) | ソフト更新で迅速 |
| 付加サービス | 基本通話のみ | キャッチホン、転送、ダイヤルQ2など |
| 利用者の立場 | 「与えられた通信を使う」 | 「選んで使う」 |
1890年代の国営化 → 1952年の電電公社 → 1985年のNTT民営化・自由化 この流れは、 日本の通信が 「国家の道具」から「生活者が選ぶサービス」へ 変わっていく物語でもある。
ISDNの登場 ― 電話網が“完全デジタル化”した瞬間(1988〜)
電子交換機(ESS)が普及した 1970年代〜1980年代前半、 電話局の内部はすでにデジタル化されつつあった。
しかし、ひとつだけ“アナログの影”が残っていた。
それは―― 家庭から電話局までの「加入者線」 である。
どれだけ交換機が電子化されても、 家の壁から伸びる電話線はアナログのまま。 その区間では、ノイズも減衰も混信も避けられなかった。
この最後のアナログ区間をデジタル化するために、 1988年、日本でISDN(INSネット64)が正式サービスとして始まる。
ここから電話網は、 端から端までデジタルでつながる“完全デジタル時代” に突入する。
INSネット64 ― 加入者線のデジタル化が始まる(1988)
ISDN(Integrated Services Digital Network)は、 音声もデータも同じデジタル回線で扱う という革命だった。
- 64kbpsのデジタル回線
- ノイズが乗らない
- 距離で劣化しない
- 音質が一定
- データ通信が高速化
アナログ電話の「サーッ」という雑音は消え、 静寂の中に声だけが浮き上がるようなクリアな音質 が実現した。
これは、利用者にとって“未来の音”だった。
2本のBチャネル ― 同時に2つの通信ができる世界
INSネット64の最大の特徴は、 Bチャネル(64kbps)×2本 を同時に扱えること。
これにより、
- 通話しながらインターネット
- FAXと電話を同時に使う
- テレビ会議+データ通信
といった、アナログでは不可能だった使い方が可能になった。
家庭の通信が、 初めて“マルチタスク”を手に入れた瞬間だった。
i・ナンバーとダイヤルイン ― 家庭に複数番号の文化が生まれる
ISDNが家庭で歓迎された理由のひとつが、 1本の回線で複数の電話番号を持てる という仕組みだった。
- i・ナンバー(家庭向け)
- ダイヤルイン(企業向け)
これにより、家庭ではこんな使い方が広がった。
- 親の電話番号と、子どものネット用番号を分ける
- 電話とFAXを別番号にする
- 仕事用とプライベート用を分ける
アナログ時代の「家に1つの番号」という常識が崩れ、 家庭内の通信文化が大きく変わった。
TA(ターミナルアダプタ) ― 家庭の通信コーナーの主役
ISDNはデジタル回線だが、 家庭の電話機はほとんどがアナログだった。
そこで登場したのが TA(ターミナルアダプタ)。
- アナログ電話機をISDNで使える変換装置
- FAXや留守電もそのまま使える
- PC接続用のポートも搭載
- 家庭の通信コーナーの“主役”に
「電話機を買い替えなくてもデジタル化できる」 この互換性が、ISDN普及の大きな追い風になった。
INSネット1500 ― 企業ネットワークの基盤へ(1990年代前半)
企業向けには INSネット1500(1.5Mbps) が登場。
- 多チャネルを束ねて利用
- PBX(構内交換機)のデジタル化
- 大規模オフィスの通信を統合
- 企業ネットワークの近代化を加速
ISDNは、企業の通信インフラを アナログPBX → デジタルPBX へと進化させた。
128kbpsの衝撃 ― MP接続が生んだ“未来の速度”
ISDNは2本のBチャネルを束ねることで、 128kbps の通信が可能になった(MP=マルチリンクPPP)。
これは当時のアナログモデム(56kbps)の 2倍以上。
- Webページが一気に開く
- 画像が高速で表示される
- ダウンロードが現実的な速度になる
当時のユーザーにとって、 128kbpsは“未来の速度”だった。
フレッツ・ISDN ― 日本のインターネット爆発の引き金(1999)
1999年、NTTは フレッツ・ISDN を開始する。
- 月額定額でインターネットが使い放題
- 時間課金のストレスから解放
- 家庭のネット利用が一気に拡大
「通話料を気にせずネットができる」 これは、当時の家庭にとって革命だった。
ISDNは、 日本のインターネット普及の“火付け役” となった。
End-to-End デジタル化 ― 電話網の完成形
ISDNの価値を理解するには、 アナログ時代との比較がわかりやすい。
家庭 → 加入者線 → 電話局 → 全国網 すべてがデジタルでつながる“完全形”が実現した。
| 区間 | アナログ時代 | ISDN登場後(完全デジタル) |
|---|---|---|
| 家庭内 | 声をそのまま送信 | 声をデジタル信号に変換 |
| 加入者線 | アナログの電気の波 | デジタルパルス |
| 電話局内 | 電子交換機でデジタル処理 | 電子交換機で処理(変換不要) |
| 局間伝送 | PCMによるデジタル伝送 | PCMによるデジタル伝送 |
ISDNは、 アナログから光へ向かう“中間の橋” として、 通信史に確かな足跡を残した。
モデムとインターネット前史 ― ピーヒョロロ音がつないだ時代(1990年代)
ISDNが登場する以前、 家庭のインターネットは アナログ電話回線 を使っていた。
電話線は本来「声」を送るためのもの。 そこに「デジタルデータ」を無理やり流し込むために生まれたのが――
モデム(Modem:変調・復調装置) である。
1990年代のインターネットは、 あの「ピーヒョロロ……ガーッ」という音とともに始まった。
モデムの仕組み ― ピーヒョロロ音の正体
モデムは、 デジタル信号(0と1)をアナログの“音”に変換して送る装置 だった。
- PCのデジタル信号 → モデムが「音」に変換 → 電話回線を通る → 相手側モデムがデジタルに戻す
この「音」が、あの特徴的な接続音だった。
ピーヒョロロ音の意味
- 「ピー」:回線の状態確認
- 「ヒョロロ」:通信方式の交渉
- 「ガガガガ」:データ転送の同期
つまり、あの音は “2台のモデムが会話している音” だった。
アナログモデムの弱点 ― 「音」による通信の限界
アナログモデムは、音を使うという物理的制約を抱えていた。
生活音で回線が切れることも
- 近くで大声を出す
- 掃除機をかける
- 電話線にノイズが乗る
こうした“生活音”が通信に影響し、 突然切断されることも珍しくなかった。
アナログの繊細さが、 次章のISDNや光ファイバーの「強固さ」を際立たせる。
速度の進化 ― 14.4kbpsから56kbpsへ
モデムの通信速度は、 1990年代を通して急速に進化した。
| 年代 | 主な速度 | 体感 |
|---|---|---|
| 1991頃 | 2.4〜9.6kbps | 画像はほぼ無理 |
| 1993頃 | 14.4kbps | Web閲覧が現実的に |
| 1995頃 | 28.8kbps | 画像が“待てば表示” |
| 1997頃 | 33.6kbps | 実用的な速度に |
| 1998頃 | 56kbps(V.90) | 当時の“最速” |
56kbpsの真実
- 下り(ダウンロード)だけが56kbps
- 上りは33.6kbpsが限界
- ノイズが多いと40kbps程度しか出ないことも多かった
「理想と現実のギャップ」も、当時の“あるある”だった。
ダイヤルアップ接続 ― 電話とネットは同時に使えない
アナログモデムの最大の弱点は、 電話とインターネットが同時に使えない ことだった。
- ネット中は話し中になる
- 家族が電話を使いたいと怒られる
- 長時間接続すると通話料が高額になる
1990年代の家庭では、 「ネットするから電話しないで!」 という声が日常だった。
テレホーダイ ― 深夜23時の“全国儀式”(1995〜)
1995年に始まった テレホーダイ は、 深夜23時〜翌朝8時まで、特定番号への通話が定額になるサービス。
これがネットユーザーの生活を一変させた。
当時の“あるある”
- 23時になった瞬間、全国のユーザーが一斉に接続
- プロバイダが話し中でつながらない
- 「23時戦争」と呼ばれた
- 夜型生活が加速
テレホーダイは、 日本のインターネット文化を深夜へと導いた社会現象 だった。
接続の「儀式」 ― ネットに入るまでの5ステップ
今では考えられないが、 当時はネットに入るまでに“儀式”があった。
ステップ1:接続ボタンを押す
PCで「接続」をクリック。モデムが外線発信を開始。
ステップ2:ダイヤル音
「プルルル…」と、プロバイダの番号を呼び出す。
ステップ3:モデム同士の会話
「ピーー、ヒョロロ、ガーッ」 ここで通信方式を交渉。
ステップ4:認証
IDとパスワードを送信し、ネットワークが許可を出す。
ステップ5:接続完了
タスクトレイに「接続済み」。 ここから1分ごとに課金がスタート。
この“儀式”を経て、ようやくインターネットに入れた。
画像の読み込み ― 上から一行ずつ降りてくる世界
モデム時代の象徴的な光景が、 画像が上から一行ずつ表示される あの瞬間。
- 最初はぼんやり
- 徐々に解像度が上がる
- 全体が見えるまで数十秒〜数分
この“待つ時間”も、当時のインターネット体験の一部だった。
プロバイダの誕生 ― インターネットの入口ができる
1990年代前半、日本では プロバイダ(ISP) が次々に誕生した。
- NIFTY-Serve
- BIGLOBE
- OCN
- IIJ
- So-net
ユーザーは、
- モデムでプロバイダに電話をかける
- 認証される
- インターネットに接続される
という流れでネットに入っていった。
モデム時代の限界 ― 次の時代を呼び寄せたもの
アナログモデムは便利だったが、 限界も明確だった。
- 速度が遅い
- 電話と同時に使えない
- ノイズに弱い
- 時間課金が高い
これらの問題を解決するために登場したのが ISDN(第4章) だった。
ISDNは、
- 64kbps×2=128kbps
- 通話とネットの同時利用
- ノイズなし
- デジタルの安定性
という、モデム時代の“理想形”を実現した。
フレッツ・ISDNへ ― インターネット爆発の前夜(1999)
1999年の フレッツ・ISDN によって、
- 定額制
- 常時接続に近い使い方
- 家庭のネット利用の爆発
が起こる。
モデム時代は、 インターネット普及の“助走期間” だった。
そしてISDNが、 次の第7回(携帯)・第8回(スマホ)へとつながる “デジタル通信の基盤” を作った。
次章へ ― 電話が家を離れ、社会が動き始める
モデムが鳴り、深夜のテレホーダイに全国が駆け込み、 家庭の中でインターネットがゆっくりと広がっていった1990年代。
しかし、この時代の通信革命は、 まだ“家の中”で完結していた。
同じ頃、もうひとつの大きな変化が静かに進んでいた。
電話が、家から離れ、ポケットへ移動し始めたのである。
ショルダーホン、ムーバ、折りたたみ携帯。 「外で話せる」というだけだった携帯電話は、 やがてメールを持ち、カメラを持ち、 社会のコミュニケーションそのものを変えていく。
次章では、 携帯電話がどのように誕生し、普及し、 そして“生活の中心”へと成長していったのか。
その物語をたどっていく。
第6回 終了


