
私たちはスイッチを押せば部屋が明るくなり、 コンセントに差せば家電が動く。 電気は空気のように、あって当然の存在になっている。
けれど、ほんの150年前まで、 電気は“謎の力”であり、神の領域”だった。
雷は神の怒りと恐れられ、 琥珀をこすると光る理由も誰にもわからない。 人々は電気を“触れてはいけない力”として扱っていた。
そんな見えない力を、 人類はどう理解し、どう作り、どう街を照らすようになったのか。
電気の歴史は、 科学者のひらめきと挑戦が積み重なって生まれた、 人類の冒険の物語だ。
この第1回では、 世界で電気がどのように発見され、 どのように発電へと進化していったのかをたどっていく。
電気の歴史シリーズ
全体目次(第1回〜最終回)
- 第1回:電気の誕生(世界)
- 第2回:エジソン ― 電気を社会にした男
- 第3回:日本に電気がやってきた(日本編)
- 第4回:なぜ日本は50Hzと60Hzに分かれたのか
- 第5回:日本の電力会社の誕生と送電網を作った人々(人物伝編)
- 第6回:巨大ダムと水力発電の誕生― 水の力が日本の電気を変えた ―
- 第7回:なぜ電気代は上がるのか(現代編)
- 第8回:最新エネルギーの未来 ― 電気は「作る」から「賢く使う」時代へ ―
電気が科学になるまでの物語
電気は、最初から理解されていたわけではない
いま私たちは、電気を「エネルギーの一種」として当たり前に理解している。 しかし、人類が電気を科学として理解し始めたのは、ほんの数百年前のことだ。
それまでは、雷も静電気も、理由のわからない不思議な現象にすぎなかった。 この章では、電気が「謎の力」から「科学」へと変わっていく過程をたどっていく。
1-1 電気という言葉が生まれた瞬間(1600年)
1600年、イギリスの医師であり科学者だった ウィリアム・ギルバートは、ある現象に注目した。
琥珀(こはく)を布でこすると、軽い物を引き寄せる力が生まれる。 この性質を、ギリシャ語で琥珀を意味する 「エレクトロン(ēlektron)」 から取り、 electricus(エレクトリクス) と名付けた。
電気が「名前」を持った意味
これが、「電気(electricity)」という言葉の誕生である。 名前が付いたことで、電気は初めて 「神秘」ではなく「研究対象」として扱われるようになった。
磁石と電気を切り分けた、もう一つの功績
ギルバートの本当の功績は、 単に「electricus」という言葉を生み出したことだけではない。
彼は、 磁石が持つ力(磁力)と 琥珀をこすったときに生じる力(静電気)が、 まったく別の現象であることを、世界で初めて明確に区別した。
それまで人々は、「何かを引き寄せる不思議な力」として、磁石も電気も同じものだと考えていた。
この二つを切り分けたことで、 電気と磁気はそれぞれ独立した研究対象となり、 後の電磁気学へとつながる道が開かれた。
これは、 科学史における非常に大きな一歩だった。
1-2 静電気研究ブームとレイデン瓶(1700年代)
18世紀に入ると、ヨーロッパでは静電気の研究が一気に広がる。 その象徴が レイデン瓶 と呼ばれる装置だ。
レイデン瓶とは何か
- ガラス瓶の内側と外側に金属を貼る
- 静電気をため込む
- 触ると強い電気ショックが起きる
これは、世界で初めて電気を「ためる」ことに成功した装置だった。
レイデン瓶は「最初のコンデンサ」だった
レイデン瓶の構造は、 ガラス瓶の内側と外側に金属を貼るという、非常にシンプルなものだ。
しかしこの仕組みは、 現代の コンデンサ(蓄電器) とまったく同じ原理で動いている。
- ガラスは電気を通さない(絶縁体)
- 内側と外側の金属に電気が分かれて蓄えられる
つまりレイデン瓶は、 世界最初のコンデンサだったと言える。
この発見によって、 電気は「一瞬で消える現象」ではなく、 蓄えて制御できるエネルギーとして理解されるようになった。
レイデン瓶は「見せ物」としても流行した
レイデン瓶は、研究室の中だけで使われていたわけではない。 当時のヨーロッパでは、これを使った公開実験が一種の見せ物として流行した。
レイデン瓶に電気をため、 大勢の人が手をつないで輪になり、 一斉に電気を流す。
すると、 全員が同時に飛び上がる。
この光景は強烈な印象を残し、 電気は科学者だけのものではなく、 一般の人々にとっても
目に見えないが、確実に存在する衝撃的な力
として認識されるようになった。
電気はこの時代、 学問であると同時に、驚きと興奮を生むエンターテインメントでもあった。
電気は「一瞬で消えるもの」ではなかった
この発明によって、人類は初めてこう理解する。
電気は、貯めて、あとから取り出せる力なのではないか。
電気は、ただの自然現象ではなく、 人間が扱えるエネルギーへと近づいていった。
1-3 雷の正体を暴いた男 ― フランクリンの雷実験(1752年)
当時、雷は「神の怒り」や「天罰」と考えられていた。 この常識に挑んだのが、アメリカの政治家であり科学者でもあった ベンジャミン・フランクリンだ。
命がけの実験
フランクリンは、嵐の中で凧を上げ、 凧の糸に金属を取り付けるという危険な実験を行った。
その結果、糸に電気が流れることを確認する。
雷=電気という大発見
この実験により、雷は巨大な電気現象であることが証明された。 この発見は、避雷針の発明にもつながり、 電気が自然界の力であることを世界に示した。
「プラス」と「マイナス」という考え方の誕生
フランクリンの功績は、 雷が電気であることを証明しただけではない。
彼は電気を、 一種の「流体」のようなものだと考えた。
そして、
- 電気が多い状態を プラス(正)
- 電気が不足している状態を マイナス(負)
と呼ぶことを提唱した。
この考え方は、 現代の電気理論とは完全には一致しないものの、 プラスとマイナスという概念を世界に定着させたという点で、 極めて重要な意味を持っている。
私たちがいま当たり前に使っている 「+」「−」の感覚は、 この時代に生まれたものだ。
1-4 電気は「理解するもの」から「使えるもの」へ
ここまでの研究によって、人類は次のことを知った。
- 電気には名前がある
- 電気は貯められる
- 雷も電気の一種である
つまり、電気はもはや「神秘」ではなく、 理解できる自然現象になった。
それでも残った最大の課題
しかし、この時点ではまだ決定的な問題が残っていた。
電気を、安定して「作る」方法がない。
この課題を解決した人物が、 次章で登場する アレッサンドロ・ボルタ と マイケル・ファラデーである。
電気を“作る”時代の始まり
電気は「観察するもの」から「生み出すもの」へ
第1章で、人類は電気を 「名前を持つ現象」として理解し、 「貯められる力」として扱えるようになった。
しかし、社会で電気を使うためには、 決定的に足りないものがあった。
それは、 電気を安定して生み出す方法である。
この章では、 電気を「作る」ことに成功した人類が、 どのようにして発電という技術へたどり着いたのかを見ていく。
2-1 世界初の電池 ― ボルタの電堆(1800年)
1800年、イタリアの物理学者 アレッサンドロ・ボルタは、 世界で初めて電気を連続的に生み出す装置を発明した。
それが ボルタの電堆(でんたい) である。 電堆とは、異なる金属を積み重ね、化学反応によって電気を発生させる装置を指す。
世紀の発明は、論争から生まれた
実はこの発明の背景には、 ガルヴァーニという科学者との論争があった。
ガルヴァーニは、 「カエルの足が動くのは、生き物の中に電気があるからだ」 と主張していた。
これに対しボルタは、 「電気は生き物の中にあるのではない。 金属同士が触れることで生まれているのだ」 と考えた。
その考えを証明するために作られた装置こそが、 ボルタの電堆だった。
ボルタ電堆の仕組み
- 亜鉛板
- 銅板
- 電解液を含ませた湿った布
これらを交互に積み重ねることで、 化学反応によって電気が流れ続ける。
電池の誕生が意味するもの
それまでの電気は、 偶然起きる現象にすぎなかった。
ボルタ電堆によって、 電気は初めて 人間の意思で生み出せるエネルギーになった。
これは、 電気の歴史における大きな転換点だった。
2-2 電気と磁気がつながった瞬間
19世紀初頭、 電気と磁気は別々の現象だと考えられていた。
しかし、ある発見がその常識を覆す。
エルステッドの発見(1820年)
デンマークの科学者 ハンス・クリスチャン・エルステッドは、 電流を流した導線の近くで磁針が動くことを発見した。
これは、 電気が磁気を生み出すことを示していた。
アンペールによる理論化
この現象を理論としてまとめたのが、 フランスの物理学者 アンペール である。
エルステッドが「現象」を見つけ、 アンペールがそれを「法則」として整理した。
- 電流同士は引き合う
- 電気と磁気は深く結びついている
こうして、 電気と磁気は「別物」ではなく、 同じ現象の表と裏だと理解されるようになった。
2-3 発電の原理を発見した男 ― ファラデー(1831年)
電気と磁気の関係を、 決定的な技術へと昇華させた人物がいる。
イギリスの科学者 マイケル・ファラデーだ。
努力の天才
ファラデーは、 貧しい家の生まれで、 正式な高等教育をほとんど受けていなかった。
若い頃は製本屋で働きながら、 仕事の合間に本を読み漁り、 独学で科学を学び続けた。
その探究心が、 やがて世界を変える発見へとつながっていく。
ファラデーは、 才能よりも探究心が世界を変えることを証明した人物だった。
電磁誘導の発見
ファラデーは、 磁石を動かすことで電流が生まれる現象を発見した。
これが 電磁誘導 である。
- 磁石を動かす
- コイルに電流が流れる
- 動きが止まると電流も止まる
発電機の原点
この原理こそが、 現代の発電機の基本構造だ。
水力、火力、風力、原子力―― どんな発電方法であっても、 最終的には 磁石を回して電気を生み出している。
つまり、 世界中の発電所は、ファラデーの発見の延長線上にある。
2-4 電気は「実験室」から「社会」へ向かう
ボルタによって電気は作られ、 ファラデーによって発電の原理が確立された。
これにより、 電気は実験室の中だけの存在ではなくなった。
電気を大量に作り、 街に届けることはできないのか。
この問いに挑んだ人物が、 次の章で登場する トーマス・エジソンと ニコラ・テスラである。
電気が街を変える時代へ
電気は「発明」から「インフラ」へ
第2章で、人類は 電気を安定して生み出す方法を手に入れた。
しかし、電気が社会を本当に変えるためには、 もう一つの壁を越える必要があった。
それは、
電気を安全に、効率よく、街全体に届けること
である。
この章では、 電気が初めて街を照らし、 現代社会の基盤となっていく過程を描いていく。
3-1 電気で街を照らした男 ― エジソン
19世紀後半、 電気を「実用」にまで引き上げた人物がいる。
トーマス・エジソンだ。
彼は電球の発明者として知られているが、 本当の功績は、
電気を一つの社会システムとして完成させたこと
にある。
電球だけでは、街は明るくならない
エジソンが考えたのは、 電球という「出口」だけではなかった。
- 発電所という「入口」
- 電線という「道」
- スイッチや配電設備
これらを、 一体の仕組みとして設計したのである。
1882年、 ニューヨークに建設された パール・ストリート発電所は、 現代の電力供給システムの雛形だった。
エジソンは、 単なる発明家ではなく、 電気インフラの設計者だったと言える。
ちなみに、エジソンは電球のフィラメントに 日本の竹を使うことで、電球の寿命を飛躍的に伸ばした。 電気のインフラづくりには、世界中の素材と知恵が使われていた。
3-2 もう一つの電気 ― テスラの交流
しかし、 エジソンの方式(直流)には大きな弱点があった。
それは、
遠くまで電気を送れない
という問題だ。
この課題に挑んだのが、 ニコラ・テスラである。
交流という発想
テスラが提唱したのは、 交流(AC)という電気の使い方だった。
交流の最大の強みは、
電圧を自由に変えられる(変圧できる)
ことにある。
- 遠くへ送るときは 高い電圧
- 家庭で使うときは 低い電圧
高い電圧(高圧)で一気に送り、 使う直前で低い電圧(安全な電圧)に落とす。
これは、 高速道路と一般道を使い分けるような仕組みだ。
この柔軟性によって、 広い地域へ電気を届けることが可能になった。
交流は、 街から街へ、国から国へと電気を運ぶための技術だった。
3-3 電流戦争 ― 二つの思想の衝突
エジソンの 直流(DC) と、 テスラの 交流(AC)。
どちらが未来の電気になるのか。
この対立は、 電流戦争と呼ばれる激しい競争へと発展した。
技術だけでなく、思想の戦い
- 安全性と管理のしやすさを重視するエジソン
- 効率と拡張性を重視するテスラ
この争いは、 単なる技術論争ではなく、
社会のあり方を巡る思想の衝突
でもあった。
3-4 勝者は「交流」、しかし――
決着がついたのは、
- 1893年のシカゴ万博
- ナイアガラの滝の発電事業
だった。
これらの大規模プロジェクトで、 テスラの交流方式(ウェスティングハウス社)が採用され、 事実上、電流戦争は交流の勝利で終わった。
現在、 私たちの家庭に届く電気のほとんどは交流である。
しかし、
直流が消えたわけではない。
- スマートフォン
- パソコン
- バッテリー
- 太陽光発電
これらは直流で動いている。
家庭のコンセントにある ACアダプター(交流を直流に整える「整流」装置)は、 交流を直流に変換する役割を持っている。
現代社会では、 直流と交流が役割を分担しながら共存している。
3-5 電気は、社会の血流になった
この時代を境に、 電気は単なる技術ではなくなった。
- 夜を明るくする
- 工場を動かす
- 情報を運ぶ
電気は、 社会全体を循環する血流となったのである。
次章へのつながり
次の章では、 電気が家庭に入り込み、 私たちの暮らしをどう変えていったのか――
「生活と電気」の物語を描いていく。
電気は、すぐには信じられなかった
― 発明から「信用」へ ―
4-1 電気は、発明されても社会を動かさなかった
電気は、発明された瞬間に世界を変えたわけではない。
ボルタの電堆が生まれ、 ファラデーが電磁誘導を発見し、 電気はすでに「作れる力」になっていた。
それでも社会は、 すぐには動かなかった。
技術が存在することと、 社会がそれを受け入れることは、 まったく別の問題だったのである。
4-2 「見えない力」への恐怖
19世紀の人々にとって、 電気は得体の知れない存在だった。
当時すでに街にはガス灯があった。 炎は危険だが、燃えているのが見える。 どこが危ないのか、理解できた。
しかし電気は違った。
- どこをどう流れているのか分からない
- 触れれば感電する
- 扱いを誤れば火災を起こす
見えない力が、家の中を駆け巡る。
この感覚そのものが、 人々にとっては恐怖だった。
4-3 理論だけでは、人は動かなかった
科学者たちは、 電気の仕組みを説明しようとした。
数式は整い、 理論も完成に近づいていた。
しかし、それでも人々は動かなかった。
人は、 正しいから使うのではない。 安心できると感じたときに、初めて使う。
電気は、 その「安心」をまだ得ていなかった。
4-4 電気は「見せる」ことで信じられ始めた
転機となったのは、 公開実験や博覧会だった。
- 夜の街が一斉に明るくなる
- 炎を使わずに光が灯る
- スイッチ一つで闇が消える
その光景を目にしたとき、 人々の認識が変わり始めた。
「これは魔法ではない」 「生活に使えるかもしれない」
電気は、 説明されて信じられたのではない。 体験されて、信じられ始めたのである。
4-5 それでも、社会に広がるには足りなかった
しかし、 信じられ始めただけでは、 電気は社会に広がらなかった。
電気を使うには、 次のものが必要だった。
- 発電所
- 配線
- 維持と管理
つまり、 莫大な資金と仕組みである。
ここで電気は、 発明の段階を終え、 次の問いに直面する。
4-6 電気は、本当に社会に根づけるのか
安全なのか。 便利なのか。 そして、続けられるのか。
電気は、 技術としてではなく、 社会に受け入れられる存在かどうかを 試される段階に入った。
この問いに答えられなければ、 どれほど優れた発明でも、 世界を変えることはできない。
4-7 次の段階へ
やがて電気は、 一部の都市で使われ始め、 社会の中に居場所を見つけていく。
そしてその信用は、 国境を越え、 世界へと広がっていくことになる。
次の章では、 電気がどのようにして 世界へ展開していったのかを見ていく。
章まとめ
電気は、正しくてもすぐには信じられなかった
人々が求めたのは「理論」ではなく「安心」だった
電気は、見せられることで初めて受け入れられた
この章は、 「なぜ電気はすぐに広がらなかったのか」を描く章である。
では、誰が、どのようにしてこの壁を越えたのか。 その答えは、次の回で語られる。
第1回 終了

