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第4回:なぜ日本は50Hzと60Hzに分かれたのか

日本の電気には、世界でも珍しい特徴がある。 それは、周波数が一つではないということだ。

東日本は50Hz、西日本は60Hz。 同じ国の中で、電気のリズムが二つに分かれている国は、ほとんど存在しない。

普段の生活で、この違いを意識することはない。 コンセントにプラグを差せば、電気は当たり前のように使える。 それでも、日本の電力網の奥深くには、今もこの「分断」が残り続けている。

なぜ日本は、どちらか一方に統一されなかったのか。 そこに技術的な必然はあったのか。 それとも、別の理由があったのか。

答えは、意外なほど単純だ。 それは、電気が日本にやってきた最初の瞬間にさかのぼる。

この章では、日本の電気が二つに分かれた理由を、 歴史の流れの中からひも解いていく。


電気の歴史シリーズ
 全体目次(第1回〜最終回)


目次(上)
  1. 直流から交流へ
    1. 世界に最初に広がった電気は「直流」だった
    2. 直流には「周波数」という概念がなかった
    3. 交流の登場が、電気の世界を変えた
    4. 周波数は「交流時代」に生まれた問題だった
    5. ヨーロッパの50Hz、アメリカの60Hz
    6. なぜ世界は統一されなかったのか
    7. 日本は、この分裂した世界から電気を迎え入れた
  2. 日本は、分かれた世界から電気を迎え入れた
    1. 日本が電気を導入したとき、世界はすでに分かれていた
    2. 日本には「全国で統一する」という発想がなかった
    3. 東京の選択
      1. ドイツ系技術と50Hz
          1. 背景にあったもの
          2. 結果として
    4. 大阪の選択
      1. アメリカ系技術と60Hz
          1. 背景にあったもの
          2. 結果として
    5. 周波数は「選ばれた」のではなく「付いてきた」
    6. 二つの方式は、やがて固定化されていく
    7. 日本は「分かれた世界」をそのまま国内に持ち込んだ
    8. 次章へ
  3. なぜ、日本の電気は統一されなかったのか
    1. 「揃えよう」と思ったときには、もう遅かった
    2. 壁① 技術の壁
      1. 電気は「つなげば終わり」ではなかった
    3. 壁② 経済の壁
      1. 「できるか」ではなく「払えるか」
    4. 壁③ 制度の壁
      1. 日本の電力は「一つの会社」ではなかった
    5. 境界線は、生活の中では見えない
    6. 「不便ではない」ことが、統一を遠ざけた
    7. 日本の電気は「過去の選択」を抱えたまま進んだ
    8. 次章へ
  4. 分かれたまま、生きる日本の電気
    1. 周波数分裂は「過去の問題」ではない
    2. 現代の日本は「つなげない」のではなく「つなぎ替えている」
      1. 周波数変換所の役割
    3. それでも「完全にはつながらない」
    4. 東日本大震災が突きつけた現実
    5. 家庭では、ほとんど意識されない
    6. それでも、境界は消えていない
    7. 日本の電気が選んだ道
    8. まとめとして

直流から交流へ

― 世界の電気は、こうして二つに分かれた ―

世界に最初に広がった電気は「直流」だった

電気が初めて都市に広がった19世紀後半、 世界で使われていた電気は、直流(DC)だった。

この直流の電気を社会に広めたのが、トーマス・エジソンである。 エジソンは電球を発明しただけでなく、

  • 発電所
  • 配電網
  • 電灯
  • 料金徴収

を一体の仕組みとして成立させ、 「電気事業」というモデルそのものを作り上げた

1882年、ニューヨークのパールストリート発電所から供給された電気は直流だった。 この方式は、ロンドン、パリ、ベルリンなどへと模倣され、 世界で最初に広がった電気インフラは直流方式だったのである。

直流には「周波数」という概念がなかった

ここで重要なのは、 直流には周波数(Hz)が存在しないという点だ。

電圧が一定方向に流れ続ける直流では、 「1秒間に何回振動するか」という考え方そのものが不要だった。

50Hzや60Hzという違いは、 この時代にはまだ、問題にすらなっていなかった。

交流の登場が、電気の世界を変えた

状況が変わるのは、1880年代後半から1890年代にかけてである。 ニコラ・テスラやウェスティングハウスによって、 交流(AC)送電が実用化された。

交流には、直流にはない決定的な利点があった。

  • 電圧を変圧器で自由に変えられる
  • 高圧で長距離送電ができる
  • 大規模な発電所を中心に電力網を構築できる

都市が拡大し、電力需要が急増する中で、 交流は国家規模のインフラに適した方式だった。

こうして、 直流で始まった電気の世界は、 次第に交流へと置き換えられていく。

周波数は「交流時代」に生まれた問題だった

交流では、電圧が周期的に変化する。 その周期を表すのが、周波数(Hz)である。

発電機、モーター、変圧器、照明。 すべての設計が周波数に依存するため、 どの周波数を使うかは、電力システム全体を左右する問題になった。

しかし、交流が普及し始めた時点で、 世界にはすでに二つの中心が存在していた。

ヨーロッパの50Hz、アメリカの60Hz

ヨーロッパでは、主にドイツを中心に、50Hzが採用された。

  • 発電機の回転数との相性
  • 機械設計上の扱いやすさ
  • 理論重視の電気工学の流れ

こうした要因から、50Hzが標準として定着していった。

一方、アメリカでは60Hzが選ばれた。

  • 照明のちらつきが少ない
  • モーターの性能が安定しやすい
  • 実用性を重視する産業文化

エジソンの会社を母体とするGEも、この60Hz方式を採用した。

なぜ世界は統一されなかったのか

50Hzと60Hzのどちらが「正しい」という決定は、 国際的には行われなかった。

理由は単純である。

  • 交流が広がった時点で、すでに電力網が構築されていた
  • 発電所や機器を作り直すコストがあまりにも大きかった
  • 先に広がった方式が、そのまま標準として固定化された

つまり、世界の周波数分裂は、 技術的必然ではなく、歴史の順番が生んだ結果だった。

この二つの周波数は、やがて国境を越えて固定化されていく。
電気を後から導入する国は、すでに分かれた世界のどちらかを選ぶしかなかった。

日本は、この分裂した世界から電気を迎え入れた

日本が電気を導入したのは、 まさにこの「交流の二つの世界」が成立した後だった。

次章では、 日本がどのようにしてこの二つの方式を同時に受け入れ、 国内で50Hzと60Hzに分かれることになったのかを見ていく。

日本は、分かれた世界から電気を迎え入れた

日本が電気を導入したとき、世界はすでに分かれていた

日本に電気が本格的に導入されたのは、 明治時代の1880年代後半から1890年代である。

この時代、世界の電気はすでに交流(AC)へと移行しており、 その交流は次の二つの方式に分かれていた。

  • ヨーロッパ方式:50Hz
  • アメリカ方式:60Hz

日本は、電気の黎明期に参入した国ではない。 すでに標準が固まりつつある世界から、 完成された技術を輸入する立場だった。

日本には「全国で統一する」という発想がなかった

当時の日本にとって、電気はまだ国家全体を覆うインフラではなかった。

電気は次のように扱われていた。

  • 都市ごとに導入する
  • 必要な場所に、必要な分だけ使う
  • まずは動かしてみる

つまり、電気は 地域単位の事業だったのである。

そのため、

「全国で同じ方式に揃えるべきだ」

という発想自体が、 まだ現実的な選択肢として存在していなかった。

東京の選択

ドイツ系技術と50Hz

首都・東京で電気事業の中心となったのが、東京電灯である。

東京電灯は創業期に、 ドイツの電機メーカーAEG製の発電機を導入した。

背景にあったもの

当時の東京電灯には、

  • 海外で学んだ技術者
  • お雇い外国人を通じて欧州技術に触れた人々

が集まっていた。

官庁や大学が集中する東京では、 理論的裏付けと信頼性を重視する姿勢が強かった。

結果として

AEGの発電機は、 ヨーロッパ標準の 50Hz で動作していた。

こうして、

  • 東京電灯の電気=50Hz
  • その方式が東京一帯に広がる

という流れが生まれた。

大阪の選択

アメリカ系技術と60Hz

一方、商業と工業の都市・大阪では、 アメリカ系の電気技術が採用された。

導入されたのは、 アメリカの電機メーカー ゼネラル・エレクトリック(GE) の発電機である。

背景にあったもの

大阪では、

  • 商業活動が活発
  • 工場や実業用途が中心
  • 実用性と拡張性が重視された

そのため、

実績があり、すぐに使える技術

が歓迎された。

結果として

GEの方式は、 アメリカ標準の 60Hz だった。

大阪を中心とする関西の電気は、 こうして60Hzで広がっていく。

周波数は「選ばれた」のではなく「付いてきた」

ここで重要なのは、 日本が50Hzと60Hzを比較して選んだわけではないという点である。

日本が選んだのは、

  • 発電機
  • 技術体系
  • 電気事業のモデル

周波数は、その結果として 自動的に決まった条件にすぎなかった。

  • 東京が50Hzになったのではない
  • 東京電灯が50Hzの世界から電気を導入した

大阪が60Hzになったのも、 アメリカ方式を選んだ結果だった。

二つの方式は、やがて固定化されていく

電気の利用が広がるにつれ、

  • 発電所は増え
  • 送電網は伸び
  • 都市と都市がつながり始めた

そのとき、50Hzと60Hzの違いは、 簡単には変えられない前提条件になっていた。

理由は明確である。

  • 発電機
  • 変圧器
  • モーター
  • 家庭用電化製品

すべてが、 周波数に依存して設計されていたからだ。

日本は「分かれた世界」をそのまま国内に持ち込んだ

結果として日本は、

  • 東日本:50Hz
  • 西日本:60Hz

という、世界でも珍しい電力構造を持つ国になった。

この境界は、おおよそ 糸魚川(新潟県)から富士川(静岡県)を結ぶ線に沿っている。

それは、計画的な選択ではなかった。 世界が分かれていた時代に、電気を導入した結果だったのである。

次章へ

では、なぜ途中で統一されなかったのか。 なぜ「今から揃えよう」という判断が下されなかったのか。

次章では、 技術・経済・制度という三つの壁から、 その理由を掘り下げていく。

なぜ、日本の電気は統一されなかったのか

「揃えよう」と思ったときには、もう遅かった

東日本が50Hz、西日本が60Hz。 この違いは、最初から「固定された前提」だったわけではない。

電気が都市から都市へと広がり、 全国規模の電力網が意識され始めたとき、 初めて「統一したほうがいいのではないか」という発想が生まれた

しかし、その時点で、 周波数の違いはすでに簡単には動かせない段階に入っていた。

壁① 技術の壁

電気は「つなげば終わり」ではなかった

50Hzと60Hzの違いは、 単なる数字の差ではない。

周波数は、電力システムの根幹に関わっている。

  • 発電機の回転数
  • 変圧器の設計
  • モーターの構造
  • 家庭用・業務用電化製品

すべてが、特定の周波数を前提に設計されていた。

そのため、

周波数を変える = 発電所から家庭の機器まで、すべてを作り直す

ということを意味していた。

壁② 経済の壁

「できるか」ではなく「払えるか」

仮に技術的に可能だったとしても、 次に立ちはだかったのがコストの問題である。

  • 発電設備の更新
  • 送電網の改修
  • 既存機器の交換
  • 利用者への影響

これらを全国規模で行うには、 莫大な費用と時間が必要だった。

しかも、周波数を統一しても、

  • 電気が安くなるわけでもない
  • すぐに便利になるわけでもない

当時の判断としては、

「今ある仕組みを壊してまで変える理由がない」

という結論に傾くのは、自然な流れだった。

この判断は、現代のIT業界で言うところの「技術的負債」によく似ている。 一度動き出した巨大なシステムは、止めるコストが、動かし続けるコストを上回ってしまう。 電力インフラもまた、そうした強い慣性を持つシステムだった。

壁③ 制度の壁

日本の電力は「一つの会社」ではなかった

もう一つの大きな要因が、制度の問題である。

日本の電力事業は、

  • 地域ごと
  • 会社ごと

に発展してきた。

全国を一つの電力会社が統括していたわけではなく、 それぞれが独立した事業体として設備投資を行っていた。

そのため、

  • 誰が決断するのか
  • 誰が費用を負担するのか
  • どの地域を基準にするのか

を決める仕組み自体が存在していなかった。

境界線は、生活の中では見えない

糸魚川から富士川へと引かれる周波数の境界線は、 地図の上でははっきりしている。

しかし、生活の中でそれを意識することは、ほとんどない。

  • コンセントに違いはない
  • 電灯は同じように点く
  • 家電も普通に使える

境界線の上に立っても、 電気は何も語らない。

それでも、 確かに違う世界が流れている

「不便ではない」ことが、統一を遠ざけた

周波数分裂は、 確かに非効率な構造ではある。

しかし同時に、

  • 日常生活で困ることが少ない
  • 大きな事故や混乱が起きない

という特徴も持っていた。

そのため、

いつかは揃えたほうがいい でも、今すぐでなくてもいい

という判断が、 長い時間をかけて積み重なっていった。

その判断が、最もはっきりと形になった瞬間がある。 1923年の関東大震災である。

東京の電力網は壊滅的な被害を受け、復興にあたって「この機会に周波数を統一すべきではないか」という議論も起きた。 しかし、結論は迅速な復旧を優先することだった。 結局、東京は従来どおり50Hzで再建される。

ここで下されたのが、 「今すぐでなくてもいい」という判断だった。

日本の電気は「過去の選択」を抱えたまま進んだ

こうして日本の電力は、

  • 世界が分かれていた時代に導入され
  • 地域ごとに最適化され
  • 統一されないまま拡大していった

結果として、

日本の電気は、 明治の選択を、 今も静かに引きずっている

と言える構造になった。

次章へ

では、この分裂は 本当に「問題」なのだろうか。

次章では、

  • 周波数変換所
  • 現代技術による橋渡し
  • それでも残る制約

を通して、 「分かれたまま生きる日本の電気」を見ていく。

分かれたまま、生きる日本の電気

周波数分裂は「過去の問題」ではない

東日本50Hz、西日本60Hz。 この構造は、明治の選択が生んだものだ。

しかしそれは、 過去に起きて終わった問題ではない。

日本の電力は今も、 この分裂を前提に動き続けている。

現代の日本は「つなげない」のではなく「つなぎ替えている」

現在、日本には 周波数変換所と呼ばれる施設が存在する。

これは、

  • 50Hzの電気を
  • 60Hzに変換する

あるいはその逆を行う、 電気の通訳装置のような存在だ。

日本には、実際に周波数を変換する巨大な施設が存在する。 たとえば、長野県の新信濃変電所、静岡県の佐久間周波数変換所、そして東清水変電所

これらは、地図の上では小さな点にすぎない。 しかし現地には、何万トンもの鉄と銅でできた装置が並び、 東と西、二つの電気の世界をつなぐ「心臓部」として、今も静かに動き続けている。

周波数変換所の役割

  • 東日本と西日本の電力を融通する
  • 災害時に電力を送り合う
  • 電力需給のバランスを取る

つまり日本は、

周波数を統一する代わりに、 境界に「橋」を架けた

と言える。

それでも「完全にはつながらない」

周波数変換所は、 分裂した電力網をつなぐ重要な存在だ。

しかし、その能力には限界がある。

  • 送れる電力量には上限がある
  • 設備の増設には時間とコストがかかる
  • 全国を一体化するほどの力はない

つまり、

日本の電力は 「分かれたまま、部分的につながっている」

という、独特な構造を持っている。

東日本大震災が突きつけた現実

2011年の東日本大震災では、 この構造の弱点がはっきりと表れた。

  • 東日本で電力が不足しても
  • 西日本から十分に送れない

理由は、 周波数の違いだった。

この経験をきっかけに、

  • 周波数変換所の増強
  • 電力融通能力の拡大

が進められていく。

分裂は解消されなかったが、 分裂とどう付き合うかは、確実に変わった。

家庭では、ほとんど意識されない

一方で、 私たちの生活の中で周波数を意識する場面は少ない。

  • コンセントは同じ
  • 電灯は同じように点く
  • 家電も問題なく使える

多くの家電製品は、

  • 50Hz/60Hz両対応
  • 内部で周波数を変換

する設計になっている。

つまり、

不便さは、技術によって覆い隠されている

とも言える。

かつては、引っ越しが大仕事だった。 東日本から西日本へ移ると、洗濯機や冷蔵庫のモーターを交換しなければならないこともあった。 周波数の違いは、生活の中で確かに「壁」だった。

しかし今、多くの家電はヘルツフリー(50Hz/60Hz共用)が当たり前になっている。 インフラは変われなかったが、 私たちの使う「道具」のほうが歩み寄ったのである。

分断された電力網に合わせて、製品を作り続けてきた日本のものづくりは、
この静かな適応の積み重ねでもあった。

それでも、境界は消えていない

境界線は、 地図の上では一本の線として描ける。

しかし実際には、

  • 発電所
  • 送電網
  • 制度
  • 投資判断

の中に、 静かに、しかし確実に存在し続けている。

境界線の上に立っても、 電気は何も語らない。

それでも、 違う世界が流れている

日本の電気が選んだ道

日本は、

  • 統一する道
  • 分断を解消する道

を選ばなかった。

代わりに選んだのは、

分かれたまま、 技術で橋を架け、 運用で乗り越える道

だった。

それは、 過去の選択を否定せず、 現実と折り合いをつけながら進む、 日本らしい解決でもある。

まとめとして

日本の電気は、

  • 世界が分かれていた時代に生まれ
  • 統一されないまま成長し
  • 今も、その構造を抱え続けている

しかしそれは、 失敗の物語ではない。

巨大なインフラは、 一度動き出すと簡単には変えられない。 だからこそ、人は「どう使い続けるか」を選ぶ。

日本の電気は、 その問いに、ひとつの答えを出し続けている。

第4回 終了


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