
日本の電気には、世界でも珍しい特徴がある。 それは、周波数が一つではないということだ。
東日本は50Hz、西日本は60Hz。 同じ国の中で、電気のリズムが二つに分かれている国は、ほとんど存在しない。
普段の生活で、この違いを意識することはない。 コンセントにプラグを差せば、電気は当たり前のように使える。 それでも、日本の電力網の奥深くには、今もこの「分断」が残り続けている。
なぜ日本は、どちらか一方に統一されなかったのか。 そこに技術的な必然はあったのか。 それとも、別の理由があったのか。
答えは、意外なほど単純だ。 それは、電気が日本にやってきた最初の瞬間にさかのぼる。
この章では、日本の電気が二つに分かれた理由を、 歴史の流れの中からひも解いていく。
電気の歴史シリーズ
全体目次(第1回〜最終回)
- 第1回:電気の誕生(世界)
- 第2回:エジソン ― 電気を社会にした男
- 第3回:日本に電気がやってきた(日本編)
- 第4回:なぜ日本は50Hzと60Hzに分かれたのか
- 第5回:日本の電力会社の誕生と送電網を作った人々(人物伝編)
- 第6回:巨大ダムと水力発電の誕生― 水の力が日本の電気を変えた ―
- 第7回:なぜ電気代は上がるのか(現代編)
- 第8回:最新エネルギーの未来 ― 電気は「作る」から「賢く使う」時代へ ―
直流から交流へ
― 世界の電気は、こうして二つに分かれた ―
世界に最初に広がった電気は「直流」だった
電気が初めて都市に広がった19世紀後半、 世界で使われていた電気は、直流(DC)だった。
この直流の電気を社会に広めたのが、トーマス・エジソンである。 エジソンは電球を発明しただけでなく、
- 発電所
- 配電網
- 電灯
- 料金徴収
を一体の仕組みとして成立させ、 「電気事業」というモデルそのものを作り上げた。
1882年、ニューヨークのパールストリート発電所から供給された電気は直流だった。 この方式は、ロンドン、パリ、ベルリンなどへと模倣され、 世界で最初に広がった電気インフラは直流方式だったのである。
直流には「周波数」という概念がなかった
ここで重要なのは、 直流には周波数(Hz)が存在しないという点だ。
電圧が一定方向に流れ続ける直流では、 「1秒間に何回振動するか」という考え方そのものが不要だった。
50Hzや60Hzという違いは、 この時代にはまだ、問題にすらなっていなかった。
交流の登場が、電気の世界を変えた
状況が変わるのは、1880年代後半から1890年代にかけてである。 ニコラ・テスラやウェスティングハウスによって、 交流(AC)送電が実用化された。
交流には、直流にはない決定的な利点があった。
- 電圧を変圧器で自由に変えられる
- 高圧で長距離送電ができる
- 大規模な発電所を中心に電力網を構築できる
都市が拡大し、電力需要が急増する中で、 交流は国家規模のインフラに適した方式だった。
こうして、 直流で始まった電気の世界は、 次第に交流へと置き換えられていく。
周波数は「交流時代」に生まれた問題だった
交流では、電圧が周期的に変化する。 その周期を表すのが、周波数(Hz)である。
発電機、モーター、変圧器、照明。 すべての設計が周波数に依存するため、 どの周波数を使うかは、電力システム全体を左右する問題になった。
しかし、交流が普及し始めた時点で、 世界にはすでに二つの中心が存在していた。
ヨーロッパの50Hz、アメリカの60Hz
ヨーロッパでは、主にドイツを中心に、50Hzが採用された。
- 発電機の回転数との相性
- 機械設計上の扱いやすさ
- 理論重視の電気工学の流れ
こうした要因から、50Hzが標準として定着していった。
一方、アメリカでは60Hzが選ばれた。
- 照明のちらつきが少ない
- モーターの性能が安定しやすい
- 実用性を重視する産業文化
エジソンの会社を母体とするGEも、この60Hz方式を採用した。
なぜ世界は統一されなかったのか
50Hzと60Hzのどちらが「正しい」という決定は、 国際的には行われなかった。
理由は単純である。
- 交流が広がった時点で、すでに電力網が構築されていた
- 発電所や機器を作り直すコストがあまりにも大きかった
- 先に広がった方式が、そのまま標準として固定化された
つまり、世界の周波数分裂は、 技術的必然ではなく、歴史の順番が生んだ結果だった。
この二つの周波数は、やがて国境を越えて固定化されていく。
電気を後から導入する国は、すでに分かれた世界のどちらかを選ぶしかなかった。
日本は、この分裂した世界から電気を迎え入れた
日本が電気を導入したのは、 まさにこの「交流の二つの世界」が成立した後だった。
次章では、 日本がどのようにしてこの二つの方式を同時に受け入れ、 国内で50Hzと60Hzに分かれることになったのかを見ていく。
日本は、分かれた世界から電気を迎え入れた
日本が電気を導入したとき、世界はすでに分かれていた
日本に電気が本格的に導入されたのは、 明治時代の1880年代後半から1890年代である。
この時代、世界の電気はすでに交流(AC)へと移行しており、 その交流は次の二つの方式に分かれていた。
- ヨーロッパ方式:50Hz
- アメリカ方式:60Hz
日本は、電気の黎明期に参入した国ではない。 すでに標準が固まりつつある世界から、 完成された技術を輸入する立場だった。
日本には「全国で統一する」という発想がなかった
当時の日本にとって、電気はまだ国家全体を覆うインフラではなかった。
電気は次のように扱われていた。
- 都市ごとに導入する
- 必要な場所に、必要な分だけ使う
- まずは動かしてみる
つまり、電気は 地域単位の事業だったのである。
そのため、
「全国で同じ方式に揃えるべきだ」
という発想自体が、 まだ現実的な選択肢として存在していなかった。
東京の選択
ドイツ系技術と50Hz
首都・東京で電気事業の中心となったのが、東京電灯である。
東京電灯は創業期に、 ドイツの電機メーカーAEG製の発電機を導入した。
背景にあったもの
当時の東京電灯には、
- 海外で学んだ技術者
- お雇い外国人を通じて欧州技術に触れた人々
が集まっていた。
官庁や大学が集中する東京では、 理論的裏付けと信頼性を重視する姿勢が強かった。
結果として
AEGの発電機は、 ヨーロッパ標準の 50Hz で動作していた。
こうして、
- 東京電灯の電気=50Hz
- その方式が東京一帯に広がる
という流れが生まれた。
大阪の選択
アメリカ系技術と60Hz
一方、商業と工業の都市・大阪では、 アメリカ系の電気技術が採用された。
導入されたのは、 アメリカの電機メーカー ゼネラル・エレクトリック(GE) の発電機である。
背景にあったもの
大阪では、
- 商業活動が活発
- 工場や実業用途が中心
- 実用性と拡張性が重視された
そのため、
実績があり、すぐに使える技術
が歓迎された。
結果として
GEの方式は、 アメリカ標準の 60Hz だった。
大阪を中心とする関西の電気は、 こうして60Hzで広がっていく。
周波数は「選ばれた」のではなく「付いてきた」
ここで重要なのは、 日本が50Hzと60Hzを比較して選んだわけではないという点である。
日本が選んだのは、
- 発電機
- 技術体系
- 電気事業のモデル
周波数は、その結果として 自動的に決まった条件にすぎなかった。
- 東京が50Hzになったのではない
- 東京電灯が50Hzの世界から電気を導入した
大阪が60Hzになったのも、 アメリカ方式を選んだ結果だった。
二つの方式は、やがて固定化されていく
電気の利用が広がるにつれ、
- 発電所は増え
- 送電網は伸び
- 都市と都市がつながり始めた
そのとき、50Hzと60Hzの違いは、 簡単には変えられない前提条件になっていた。
理由は明確である。
- 発電機
- 変圧器
- モーター
- 家庭用電化製品
すべてが、 周波数に依存して設計されていたからだ。
日本は「分かれた世界」をそのまま国内に持ち込んだ
結果として日本は、
- 東日本:50Hz
- 西日本:60Hz
という、世界でも珍しい電力構造を持つ国になった。
この境界は、おおよそ 糸魚川(新潟県)から富士川(静岡県)を結ぶ線に沿っている。
それは、計画的な選択ではなかった。 世界が分かれていた時代に、電気を導入した結果だったのである。
次章へ
では、なぜ途中で統一されなかったのか。 なぜ「今から揃えよう」という判断が下されなかったのか。
次章では、 技術・経済・制度という三つの壁から、 その理由を掘り下げていく。
なぜ、日本の電気は統一されなかったのか
「揃えよう」と思ったときには、もう遅かった
東日本が50Hz、西日本が60Hz。 この違いは、最初から「固定された前提」だったわけではない。
電気が都市から都市へと広がり、 全国規模の電力網が意識され始めたとき、 初めて「統一したほうがいいのではないか」という発想が生まれた。
しかし、その時点で、 周波数の違いはすでに簡単には動かせない段階に入っていた。
壁① 技術の壁
電気は「つなげば終わり」ではなかった
50Hzと60Hzの違いは、 単なる数字の差ではない。
周波数は、電力システムの根幹に関わっている。
- 発電機の回転数
- 変圧器の設計
- モーターの構造
- 家庭用・業務用電化製品
すべてが、特定の周波数を前提に設計されていた。
そのため、
周波数を変える = 発電所から家庭の機器まで、すべてを作り直す
ということを意味していた。
壁② 経済の壁
「できるか」ではなく「払えるか」
仮に技術的に可能だったとしても、 次に立ちはだかったのがコストの問題である。
- 発電設備の更新
- 送電網の改修
- 既存機器の交換
- 利用者への影響
これらを全国規模で行うには、 莫大な費用と時間が必要だった。
しかも、周波数を統一しても、
- 電気が安くなるわけでもない
- すぐに便利になるわけでもない
当時の判断としては、
「今ある仕組みを壊してまで変える理由がない」
という結論に傾くのは、自然な流れだった。
この判断は、現代のIT業界で言うところの「技術的負債」によく似ている。 一度動き出した巨大なシステムは、止めるコストが、動かし続けるコストを上回ってしまう。 電力インフラもまた、そうした強い慣性を持つシステムだった。
壁③ 制度の壁
日本の電力は「一つの会社」ではなかった
もう一つの大きな要因が、制度の問題である。
日本の電力事業は、
- 地域ごと
- 会社ごと
に発展してきた。
全国を一つの電力会社が統括していたわけではなく、 それぞれが独立した事業体として設備投資を行っていた。
そのため、
- 誰が決断するのか
- 誰が費用を負担するのか
- どの地域を基準にするのか
を決める仕組み自体が存在していなかった。
境界線は、生活の中では見えない
糸魚川から富士川へと引かれる周波数の境界線は、 地図の上でははっきりしている。
しかし、生活の中でそれを意識することは、ほとんどない。
- コンセントに違いはない
- 電灯は同じように点く
- 家電も普通に使える
境界線の上に立っても、 電気は何も語らない。
それでも、 確かに違う世界が流れている。
「不便ではない」ことが、統一を遠ざけた
周波数分裂は、 確かに非効率な構造ではある。
しかし同時に、
- 日常生活で困ることが少ない
- 大きな事故や混乱が起きない
という特徴も持っていた。
そのため、
いつかは揃えたほうがいい でも、今すぐでなくてもいい
という判断が、 長い時間をかけて積み重なっていった。
その判断が、最もはっきりと形になった瞬間がある。 1923年の関東大震災である。
東京の電力網は壊滅的な被害を受け、復興にあたって「この機会に周波数を統一すべきではないか」という議論も起きた。 しかし、結論は迅速な復旧を優先することだった。 結局、東京は従来どおり50Hzで再建される。
ここで下されたのが、 「今すぐでなくてもいい」という判断だった。
日本の電気は「過去の選択」を抱えたまま進んだ
こうして日本の電力は、
- 世界が分かれていた時代に導入され
- 地域ごとに最適化され
- 統一されないまま拡大していった
結果として、
日本の電気は、 明治の選択を、 今も静かに引きずっている
と言える構造になった。
次章へ
では、この分裂は 本当に「問題」なのだろうか。
次章では、
- 周波数変換所
- 現代技術による橋渡し
- それでも残る制約
を通して、 「分かれたまま生きる日本の電気」を見ていく。
分かれたまま、生きる日本の電気
周波数分裂は「過去の問題」ではない
東日本50Hz、西日本60Hz。 この構造は、明治の選択が生んだものだ。
しかしそれは、 過去に起きて終わった問題ではない。
日本の電力は今も、 この分裂を前提に動き続けている。
現代の日本は「つなげない」のではなく「つなぎ替えている」
現在、日本には 周波数変換所と呼ばれる施設が存在する。
これは、
- 50Hzの電気を
- 60Hzに変換する
あるいはその逆を行う、 電気の通訳装置のような存在だ。
日本には、実際に周波数を変換する巨大な施設が存在する。 たとえば、長野県の新信濃変電所、静岡県の佐久間周波数変換所、そして東清水変電所。
これらは、地図の上では小さな点にすぎない。 しかし現地には、何万トンもの鉄と銅でできた装置が並び、 東と西、二つの電気の世界をつなぐ「心臓部」として、今も静かに動き続けている。
周波数変換所の役割
- 東日本と西日本の電力を融通する
- 災害時に電力を送り合う
- 電力需給のバランスを取る
つまり日本は、
周波数を統一する代わりに、 境界に「橋」を架けた
と言える。
それでも「完全にはつながらない」
周波数変換所は、 分裂した電力網をつなぐ重要な存在だ。
しかし、その能力には限界がある。
- 送れる電力量には上限がある
- 設備の増設には時間とコストがかかる
- 全国を一体化するほどの力はない
つまり、
日本の電力は 「分かれたまま、部分的につながっている」
という、独特な構造を持っている。
東日本大震災が突きつけた現実
2011年の東日本大震災では、 この構造の弱点がはっきりと表れた。
- 東日本で電力が不足しても
- 西日本から十分に送れない
理由は、 周波数の違いだった。
この経験をきっかけに、
- 周波数変換所の増強
- 電力融通能力の拡大
が進められていく。
分裂は解消されなかったが、 分裂とどう付き合うかは、確実に変わった。
家庭では、ほとんど意識されない
一方で、 私たちの生活の中で周波数を意識する場面は少ない。
- コンセントは同じ
- 電灯は同じように点く
- 家電も問題なく使える
多くの家電製品は、
- 50Hz/60Hz両対応
- 内部で周波数を変換
する設計になっている。
つまり、
不便さは、技術によって覆い隠されている
とも言える。
かつては、引っ越しが大仕事だった。 東日本から西日本へ移ると、洗濯機や冷蔵庫のモーターを交換しなければならないこともあった。 周波数の違いは、生活の中で確かに「壁」だった。
しかし今、多くの家電はヘルツフリー(50Hz/60Hz共用)が当たり前になっている。 インフラは変われなかったが、 私たちの使う「道具」のほうが歩み寄ったのである。
分断された電力網に合わせて、製品を作り続けてきた日本のものづくりは、
この静かな適応の積み重ねでもあった。
それでも、境界は消えていない
境界線は、 地図の上では一本の線として描ける。
しかし実際には、
- 発電所
- 送電網
- 制度
- 投資判断
の中に、 静かに、しかし確実に存在し続けている。
境界線の上に立っても、 電気は何も語らない。
それでも、 違う世界が流れている。
日本の電気が選んだ道
日本は、
- 統一する道
- 分断を解消する道
を選ばなかった。
代わりに選んだのは、
分かれたまま、 技術で橋を架け、 運用で乗り越える道
だった。
それは、 過去の選択を否定せず、 現実と折り合いをつけながら進む、 日本らしい解決でもある。
まとめとして
日本の電気は、
- 世界が分かれていた時代に生まれ
- 統一されないまま成長し
- 今も、その構造を抱え続けている
しかしそれは、 失敗の物語ではない。
巨大なインフラは、 一度動き出すと簡単には変えられない。 だからこそ、人は「どう使い続けるか」を選ぶ。
日本の電気は、 その問いに、ひとつの答えを出し続けている。
第4回 終了


