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第3回:日本に電気がやってきた(日本編)

1878年(明治11年)、東京・虎ノ門。 工部大学校の構内に集まった人々は、目の前の奇妙な装置を息をのんで見つめていた。 金属の棒と棒のあいだに、白い光がゆらめいている。 それは炎ではなく、油も薪も使わない――“電気の光”だった。

新聞は翌日、「昼のごとし」と驚きをもって報じた。 夜は暗いものだという常識が、静かに、しかし確実に揺らぎ始めた瞬間だった。

この小さな光は、やがて日本の街を変え、産業を変え、人々の暮らしを変えていく。 そしてその中心には、若き技術者たちと、後に日本初の電力会社をつくる男たちがいた。

ここから、日本の電気の物語が動き出す。


電気の歴史シリーズ
 全体目次(第1回〜最終回)


目次(上)
  1. 工部大学校と若き技術者たち ― 日本の電気はここから始まった
    1. 工部大学校とはどんな学校だったのか
      1. 工部大学校がつくられた理由
      2. 学校の特徴
    2. エアトン教授と日本人学生の出会い
      1. エアトンがもたらした教育の特徴
      2. 学生たちの学びの姿
    3. 藤岡市助 ― 日本の電気を動かした若き技術者
      1. 藤岡市助の歩み
      2. 藤岡市助が果たした役割
    4. 工部大学校が残したもの
      1. 日本の近代化を支えた技術者ネットワーク
      2. 電気の始まりを支えた土壌
      3. 日本が短期間で電化できた理由
  2. 藤岡市助(ふじおか・いちすけ) ― 電気を日本に根づかせようとした男
    1. 工部大学校で芽生えた電気への確信
      1. 学生時代の藤岡市助
      2. 藤岡が抱いた問題意識
    2. アメリカで見た“電気が動かす社会”
      1. アメリカで藤岡が見たもの
      2. 藤岡が受けた衝撃
    3. 帰国後に描いた構想
      1. 藤岡の構想の核心
      2. 技術者から事業家へ
    4. 藤岡市助が果たした役割
      1. 藤岡市助の意義
  3. 東京電灯の誕生 ― 電気が街に入り始めた日
    1. 電気を社会に届けるという発想
      1. 会社という形が必要だった理由
    2. 東京電灯会社の設立
      1. 設立当時の状況
    3. 日本で初めて街に流れた電気
      1. 日本橋茅場町という場所
    4. 街に灯った電灯がもたらした変化
      1. 電灯がもたらした変化
    5. 電気が事業として動き始めた意味
      1. 東京電灯が示したもの
    6. 次に広がる電化の波
  4. 大阪電灯と木村駒吉 ― 商業都市が選んだ、もう一つの電気の道
    1. 電気が東京から大阪へ広がった理由
    2. 大阪という都市の特徴
    3. 大阪電灯会社の設立
    4. 木村駒吉という人物
    5. 木村駒吉の立ち位置
    6. 大阪で期待された電気の役割
    7. 東京と大阪、二つの出発点
    8. 見えない分かれ道
  5. なぜ東と西で電気が分かれたのか ― 技術ではなく、時代と都市が選んだ結果
    1. 同じ電気なのに、なぜ違いが生まれたのか
    2. 東京が電気を始めた時代の前提
    3. 東京が選んだ電気のかたち
    4. 大阪が電気を始めた時代の変化
    5. 大阪が直面していた都市の現実
    6. 都市の性格が選択を分けた
      1. 東京が電気に求めたもの
      2. 大阪が電気に求めたもの
    7. 分かれたのは「電気」ではなく「選択」
    8. なぜその違いは今も残っているのか
    9. このシリーズの締め
    10. 次の物語へ

工部大学校と若き技術者たち ― 日本の電気はここから始まった

工部大学校とはどんな学校だったのか

明治政府は、近代国家として立ち上がるために、鉄道・電信・橋梁・鉱山・造船など、あらゆるインフラを短期間で整備する必要があった。 しかし当時の日本には、それらを設計し、建設し、運用できる日本人技術者がほとんど存在しなかった。

そこで政府は、国家の未来を支える技術者を育てるために 工部大学校 を設立する。 この学校が、日本の電気技術の出発点となる。

工部大学校がつくられた理由

  • 近代工学を体系的に教えられる人材が国内にいなかった
  • 外国人技師への依存を減らす必要があった
  • 日本人自身がインフラを担える体制をつくる必要があった
  • 技術者育成が国家戦略の中心に置かれていた

学校の特徴

  • 工部省(インフラを担当する官庁)が直轄
  • 外国人教師を多数招聘
  • 実験・製図・計算を重視した実践的教育
  • 後の東京大学工学部の前身となる教育機関

エアトン教授と日本人学生の出会い

工部大学校の電気工学を率いたのが、イギリス人技師 ウィリアム・エアトン だった。 彼は、日本における電気工学教育の基礎を築いた人物である。

エアトンがもたらした教育の特徴

  • 実験を中心とした授業
  • アーク灯の実演による電気の可視化
  • 電気を学問ではなく「使う技術」として教えた
  • 技術者として社会に貢献する意識を学生に植えつけた

学生たちの学びの姿

  • 授業は英語で行われ、通訳は用意されなかった
  • 実験・製図・計算を徹底的に叩き込まれた
  • 夜遅くまで研究室に残る学生も多かった
  • 技術で日本を支えるという強い使命感が共有されていた

藤岡市助 ― 日本の電気を動かした若き技術者

工部大学校で学んだ学生の中でも、特に重要な存在が 藤岡市助 である。 彼は後に、日本初の電力会社「東京電灯」を創設する人物となる。

藤岡市助の歩み

  • 工部大学校で電気工学を学ぶ
  • エアトンの指導を受け、電気の可能性に強く惹かれる
  • 政府派遣でアメリカへ渡り、最新の電気技術を学ぶ
  • 帰国後、東京電灯を立ち上げ、日本の電化を実行に移す

藤岡市助が果たした役割

  • 電気を研究対象ではなく事業として成立させた
  • 技術者でありながら経営者としても行動した
  • 日本の電気が社会に広がるための道筋をつくった

工部大学校が残したもの

日本の近代化を支えた技術者ネットワーク

卒業生たちは官庁や企業に散らばり、鉄道・通信・電気・建築など、さまざまな分野で日本の近代化を支えた。

電気の始まりを支えた土壌

工部大学校がなければ、藤岡市助も木村駒吉も、東京電灯も大阪電灯も生まれていなかった。

日本が短期間で電化できた理由

  • 技術者が育っていた
  • 彼らが自ら動いた
  • 国家が技術を重視していた この三つがそろっていたことが、日本の電化を可能にした。

藤岡市助(ふじおか・いちすけ) ― 電気を日本に根づかせようとした男

工部大学校で芽生えた電気への確信

藤岡市助は、工部大学校で電気工学を学んだ技術者の一人だった。 実験室で目にした電気の光は、彼にとって単なる研究対象ではなかった。 それは、日本の社会そのものを変える力を持つものだった。

学生時代の藤岡市助

  • 工部大学校で電気工学を専攻
  • エアトン教授の指導を受ける
  • アーク灯の実験を通じて電気の実用性を実感
  • 電気は「学ぶもの」ではなく「使われるべきもの」だと考えるようになる

藤岡が抱いた問題意識

  • 電気は研究室の中だけにあっては意味がない
  • 日本の街や工場で使われてこそ価値がある
  • 技術者が社会に出て、電気を広めなければならない

この考えが、藤岡のその後の行動を決定づける。

アメリカで見た“電気が動かす社会”

藤岡市助は、政府の派遣によりアメリカへ渡る。 そこで彼が目にしたのは、すでに電気が社会の中で使われ始めている現実だった。

アメリカで藤岡が見たもの

  • 電灯が街を照らしている光景
  • 発電所と送電網による電力供給
  • 電気が事業として成立している仕組み
  • 電気を中心に動く都市の姿

藤岡が受けた衝撃

  • 電気は未来の技術ではなく、すでに現在のインフラだった
  • 技術だけでなく、事業として成り立たせることが重要
  • 日本でも同じことができるという確信

この体験によって、藤岡の中で電気は完全に「社会を動かす力」へと変わった。

帰国後に描いた構想

日本へ戻った藤岡市助は、電気を広めるための具体的な構想を描き始める。 それは、研究や実験ではなく、会社をつくり、電気を供給するという発想だった。

藤岡の構想の核心

  • 電気は公共性の高いインフラになる
  • 個人の発明ではなく、組織で運営する必要がある
  • 安定した発電と供給の仕組みが不可欠
  • 電気を「商品」として社会に届ける

技術者から事業家へ

藤岡は、純粋な技術者の立場にとどまらなかった。 自ら人を集め、資金を動かし、組織をつくる道を選ぶ。 この決断が、日本の電気史を大きく動かすことになる。

藤岡市助が果たした役割

藤岡市助の最大の功績は、 電気を「研究対象」から「社会の仕組み」へと押し出した点にある。

藤岡市助の意義

  • 日本で初めて電気事業を本気で構想した
  • 技術と経営を結びつけた
  • 電気を一部の人のものではなく、社会全体のものにしようとした

藤岡の行動は、やがて 東京電灯 という形となり、 日本の街に本格的な電気の時代をもたらしていく。

東京電灯の誕生 ― 電気が街に入り始めた日

電気を社会に届けるという発想

藤岡市助がアメリカで目にしたのは、 電気が研究室の中ではなく、街の中で使われている姿だった。 発電所があり、送電線が張られ、電灯が人々の生活を照らしている。 電気はすでに「社会の仕組み」として動き始めていた。

日本でも同じことを実現するためには、 個人の実験や研究ではなく、組織として電気を扱う必要があった。

会社という形が必要だった理由

  • 発電設備には多額の資金が必要だった
  • 送電線や電灯の設置には継続的な管理が欠かせなかった
  • 電気は一時的な実験ではなく、日常的に供給されるべきものだった
  • 技術と経営を結びつける仕組みが求められていた

こうして、電気を扱う「会社」をつくるという構想が具体化していく。

東京電灯会社の設立

1883年、藤岡市助らを中心に 東京電灯会社 が設立される。 これは、日本で初めて電気の供給を事業として行うことを目的とした会社だった。

設立当時の状況

  • 電気はまだ一般には珍しい存在だった
  • 電灯は高価で、利用者は限られていた
  • 発電や送電の技術も発展途上だった
  • それでも「電気は広がる」という確信があった

東京電灯は、まず都市部での電灯供給を目標に事業を進めていく。

日本で初めて街に流れた電気

1887年、東京電灯は 東京・日本橋茅場町 に設けた発電所から、本格的な送電を開始する。

日本橋茅場町という場所

  • 商業地として人の往来が多かった
  • 夜間の照明需要が高かった
  • 電灯の効果を示すのに適した地域だった

ここで供給された電気は、 実験ではなく、一般の利用者に向けた公衆用の電力だった。

街に灯った電灯がもたらした変化

夜の街に灯った電灯は、人々に強い印象を与えた。 それまでの行灯やガス灯とは異なる、安定した明るさ。 電気は、目に見える形で生活を変え始める。

電灯がもたらした変化

  • 夜でも安全に活動できるようになった
  • 商店の営業時間が延びた
  • 街の景観が大きく変わった
  • 電気が「便利なもの」として認識され始めた

電気は、特別な技術ではなく、 日常の中で使われる存在へと変わっていった。

電気が事業として動き始めた意味

東京電灯の誕生は、日本の電気史における大きな転換点だった。 電気が初めて、継続的に供給される仕組みを持った瞬間でもある。

東京電灯が示したもの

  • 電気は事業として成立する
  • 都市生活と電気は強く結びつく
  • 電化は一部の実験では終わらない

東京で始まったこの動きは、 やがて他の都市へと広がっていく。

次に広がる電化の波

東京に続いて電気事業が始まるのが、大阪だった。 大阪では、東京とは異なる条件のもとで電化が進められていく。

この違いが、後に 東日本と西日本で異なる電気の仕組みを生むことになる。

大阪電灯と木村駒吉 ― 商業都市が選んだ、もう一つの電気の道

電気が東京から大阪へ広がった理由

東京で電気事業が始まると、その動きはすぐに他の都市へ波及した。 中でも大阪は、電気を強く必要とする条件を備えた都市だった。

大阪は、明治期においてすでに 日本最大級の商業・工業都市だった。

大阪という都市の特徴

大阪は東京とは性格が大きく異なっていた。

  • 商業と工業が密接に結びついていた
  • 夜間営業や長時間操業が当たり前だった
  • 工場や商店が密集していた
  • 明かりと動力の需要が非常に高かった

電気は、大阪にとって 「あると便利な新技術」ではなく、 都市の成長を支えるために必要なインフラだった。

大阪電灯会社の設立

こうした背景のもと、 1888年、大阪電灯会社が設立される。

  • 東京電灯に続く、日本で二番目の本格的電力会社
  • 大阪市内への電灯供給を目的とした事業
  • 商業地・工業地帯を中心に電化を進める構想

大阪電灯は、東京の成功例を参考にしながらも、 大阪の実情に合わせた電気事業を目指していた。

木村駒吉という人物

大阪電灯の中心人物となったのが 木村駒吉 である。

木村は、電気の専門家ではなかった。 彼は、大阪の商業・実業の現場を知る 実務家・経営側の人物だった。

木村駒吉の立ち位置

木村の特徴は、はっきりしている。

  • 技術者ではなく、事業を動かす側
  • 商業と工業の現実を熟知していた
  • 電気を「都市経営の一部」として捉えていた

木村にとって電気は、 未来の夢の技術ではなく、 大阪の街を動かすための現実的な道具だった。

大阪で期待された電気の役割

大阪電灯が供給した電気は、 単なる街路灯や装飾では終わらなかった。

  • 商店の夜間営業を支える明かり
  • 商業活動の効率化
  • 工場での動力利用への期待
  • 都市全体の生産性向上

大阪では、電気は早くから 「生活を照らすもの」以上の存在として受け止められていた。

東京と大阪、二つの出発点

こうして日本では、

  • 東京:官庁と公共性を重視した電気事業
  • 大阪:商業と工業を重視した電気事業

という、二つの異なる出発点が生まれる。

同じ「電気」でも、 都市が違えば、求められる役割も違っていた。

見えない分かれ道

この時点では、 東京と大阪の電気は見た目には同じだった。

しかしその裏側では、

  • 都市の性格
  • 事業の目的
  • 電気に求める役割

の違いが、少しずつ積み重なっていく。

この違いが、後に 東日本と西日本で異なる電気の仕組みを生むことになる。

なぜ東と西で電気が分かれたのか ― 技術ではなく、時代と都市が選んだ結果

同じ電気なのに、なぜ違いが生まれたのか

東京と大阪で始まった電気事業は、 当初は同じ「電気」を使っていた。

それにもかかわらず、日本の電気はやがて 東日本と西日本で異なる仕組みを持つようになる。

この違いは、 誰かが意図的に分けたものではない。 それぞれの都市が、その時代に最も合理的だと考えた選択の積み重ねだった。

東京が電気を始めた時代の前提

東京で電気事業が始まったのは、1880年代前半。 この時代、世界で実績のある電力方式は 直流だった。

当時の電力技術には、次のような前提があった。

  • 直流はすでに都市で実用化されていた
  • 交流はまだ発展途上だった
  • 変圧技術も十分に確立していなかった

東京電灯は、 「確実に動く方式」を選ぶ必要があった。

東京が選んだ電気のかたち

東京が重視したのは、 新しさよりも 安定性と実績だった。

  • 官庁や都市中心部への供給
  • 限られた範囲での確実な運用
  • 公共性を意識した電気事業

この選択は、当時の東京にとって 極めて自然で合理的な判断だった。

大阪が電気を始めた時代の変化

大阪で電気事業が本格化したのは、 東京より少し遅れた時期だった。

その間に、 電力技術は大きく進歩していた。

  • 交流送電の実用化が進み始めていた
  • より広い範囲への供給が現実的になっていた

大阪は、東京とは異なる条件のもとで 電気事業を考えることになった。

大阪が直面していた都市の現実

大阪は、商業と工業が密集する都市だった。

  • 夜間営業が多い
  • 工場での動力需要が高い
  • 将来的な拡張が前提となる都市構造

大阪では、 「今だけでなく、これからも使い続けられるか」 が重要な判断基準だった。

都市の性格が選択を分けた

ここで重要なのは、 技術の優劣ではないという点である。

東京が電気に求めたもの

  • 公共性
  • 安定性
  • 実績

大阪が電気に求めたもの

  • 拡張性
  • 効率
  • 将来の成長への対応

同じ電気でも、 都市が違えば、最適な選択も違っていた。

分かれたのは「電気」ではなく「選択」

日本の電気が東と西で分かれた理由は、 失敗でも、誤りでもない。

  • その時代に
  • その都市が
  • 最も合理的だと考えた判断

その積み重ねが、 後に大きな違いとして表に現れただけだった。

なぜその違いは今も残っているのか

一度整備された電力インフラは、 簡単には変えられない。

  • 発電所
  • 送電網
  • 変電設備
  • 家庭や工場の機器

すべてが連動しているため、 当時の選択は、そのまま現在まで受け継がれてきた。

このシリーズの締め

日本の電気は、 技術だけで決まったのではない。

人がいて、 都市があり、 時代があった。

その中で選ばれた道が、 今の電気の姿を形づくっている。

次の物語へ

このとき生まれた選択の違いは、 百年以上経った今も、 私たちの暮らしの中に残っている。

次のシリーズでは、 なぜ日本は50Hzと60Hzに分かれたのか その「見えない違い」を、 技術と歴史の両面から掘り下げていく。

第3回 終了


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