
【連載】CASIO S100:48年の憧れ(全6回)
- 第1回:「S100』/ 原点は1978年。将棋大会の帰りに震えた「カシオの電卓」の衝撃。
- 第2回:「S100』/ 道具の「手応え」を求めて。技術屋が電卓に求める美学。
- 第3回:「S100』/ 山形カシオという聖地。マザーファクトリー。
- 第4回:「S100』/ 1978年の少年への回答。画面越しに伝わる「削り出し」の官能。
- 第5回:「S100』/ 指先が想像する「正解」。V字ギア構造への期待。
- 第6回:「S100』/ 旅の終着地。私のデスクに「山形の青」が灯る日。
カタログの仕様表を読み込み、内部構造の図解を凝視する。 実物を手にする前のこの時間は、技術屋にとって最も愉しく、かつ真剣な「シミュレーション」のひとときだ。
私がS100に対して、ある種の畏怖すら覚えて期待しているのは、そのキーの内部に秘められた「V字ギア構造」というメカニズムである。
「ブレない」という、エンジニアへの信頼
一般的な電卓のキーを叩くとき、指先には微かな「遊び」が伝わる。 押した瞬間にキーがわずかに左右に揺れ、力が逃げていく感覚。
それは大量生産の事務用品としては仕方のないことだと、これまでは自分に言い聞かせてきた。
しかし、S100の断面図が示す構造は、私のその妥協を打ち砕いた。 キーを安定させるためのギアが精密に噛み合い、四隅のどこを叩いても垂直に、真っ直ぐに沈み込む設計。
これだ、と私は思った。
自作PCを組む際、最高級のメカニカルスイッチを選び抜くときと同じ感覚だ。 構造が理にかなっていれば、そこには必ず「良質な感触」が宿る。
画面越しにその設計思想を見つめながら、私は自分の指先が感じるであろう手応えを予感する。 それは雑味を一切排除した、驚くほどクリーンな打鍵感であるはずだ。
将棋の駒が教えてくれた「指先の対話」
この「ブレない感触」へのこだわりを遡ると、幼い頃におじいさんの隣で覚えた、将棋の記憶に辿り着く。
将棋の駒を指盤の星にピタリと置いたとき、指先に伝わる「パチッ」という乾いた、しかし重みのある反発。 あの瞬間、思考は完成し、次の一手への決意が固まる。
もしあの駒が、盤面でぐらついたり、頼りない感触だったとしたら、あれほどまでに勝負に没頭できただろうか。
私がS100に期待しているのは、まさにあの「思考を完結させるための手応え」だ。 道具が私の意志に対して、一切のブレなく、寸分の狂いもなく「正解」を返してくれる。
その信頼感があって初めて、道具は体の一部となり、私は「計算」という行為のその先にある、純粋な思考の海へ潜ることができるのだ。
沈黙する道具が語るもの
優れた構造物は、往々にして寡黙だ。 ガタつきや押し損ね、指先に残る嫌な残響。
そうした「ノイズ」が排除されたとき、道具は沈黙し、使い手の思考だけが鮮明に浮かび上がる。
S100のキータッチに期待する究極の「沈黙」。 それは、ただ音が静かだということではない。
打鍵の瞬間、指先から脳へと伝わる情報が「100%の確信」に満ちているということだ。
「このキーは、間違いなく入った」
そう確信できるだけで、どれほどストレスが消え去るだろうか。 1978年に文房具屋で見たあの憧れの電卓は、48年の歳月を経て、もはや単なる計算機ではなく、私の指先と脳を繋ぐ「精密なインターフェース」へと進化を遂げようとしている。
構造を理解すればするほど、まだ見ぬそのキーの感触を求めて、私の指先は静かに疼き始めている。
第5回 終了


