
【連載】CASIO S100:48年の憧れ(全6回)
- 第1回:「S100』/ 原点は1978年。将棋大会の帰りに震えた「カシオの電卓」の衝撃。
- 第2回:「S100』/ 道具の「手応え」を求めて。技術屋が電卓に求める美学。
- 第3回:「S100』/ 山形カシオという聖地。マザーファクトリー。
- 第4回:「S100』/ 1978年の少年への回答。画面越しに伝わる「削り出し」の官能。
- 第5回:「S100』/ 指先が想像する「正解」。V字ギア構造への期待。
- 第6回:「S100』/ 旅の終着地。私のデスクに「山形の青」が灯る日。
1978年、西日に照らされた文房具屋のショーケース。 あの時、私の目を奪ったのは、電卓が纏っていた「金属の輝き」だった。
それから48年、私はまだその「正解」をこの手に握ってはいない。
しかし、画面越しに眺めるカシオS100の姿は、48年前のあの少年が求めていた「本物の質感」そのものであることを、私の直感が告げている。
削り出しが物語る、揺るぎない「剛性」
技術屋として、私は「アルミ削り出し」という言葉の響きに、抗いがたい魅力を感じる。 多くの電卓が、効率を重視したプラスチックの成形品であるなか、S100はひとつのアルミの塊からその形を削り出しているという。
写真を見るだけでも、そのエッジの立ち方は一線を画している。 それは、お城の土台を支える石垣のように、一切の歪みを許さない強固な構造を予感させる。
手に取らなくてもわかる。 この筐体には、机の上で微動だにせず、私の指先を確実に受け止めてくれる「重み」と「剛性」が宿っているはずだ。
視線を奪う、ヘアラインの「整然」
アルミの表面を走る、繊細なヘアライン仕上げ。 光の反射を計算し尽くしたかのようなその表面は、自作PCの内部配線を美しく整えた時に感じる「機能美」に通じている。
1978年に眺めていた安価なメッキの輝きとは、次元が違う。 山形カシオの職人たちが一点一点、神経を研ぎ澄ませて仕上げたというその質感は、もはや単なる事務用品ではなく、工芸品の域に達している。
「この冷たい金属の表面に、自分の指を置いてみたい」
そう思わせるだけの説得力が、画面の向こう側から溢れ出しているのだ。
「本物」への距離を愉しむ
「電卓にここまでの質感が必要か?」と問われれば、効率だけを考えれば過剰かもしれない。 けれど、かつて文房具屋のガラスに鼻を押し付けていた、あの少年を納得させるには、この「本物」の風格が必要なのだ。
今はまだ、カタログやサイトの画像を食い入るように眺める日々だ。 けれど、その「手にするまでの時間」もまた、48年越しの旅の続きのように思えてくる。
アルミの塊から削り出された「究極の道具」が、私のデスクに鎮座する日。 その時、私の指先は、1978年に置き忘れてきた「未来」に、ついに触れることになる。
第4回 終了


