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第2回:「S100』/ 道具の「手応え」を求めて。技術屋が電卓に求める美学。


【連載】CASIO S100:48年の憧れ(全6回)


「計算ができれば、どんな電卓でも同じではないか」

効率を優先する現代において、そんな声が聞こえてきそうだ。 しかし、自作PCの内部配線に美しさを見出し、お城の石垣の積み方にため息をつくような私にとって、道具とは単なる「機能の塊」ではない。

それは、私の意志を物理的な手応えとして返してくれる「パートナー」であるべきなのだ。

構造物への愛:石垣と自作PCの共通点

私は、見えない部分にまで筋道が通っているものに惹かれる。 例えば、お城の石垣だ。巨大な岩が、ミリ単位の計算(あるいは職人の直感)で積み上げられ、数百年もの間、巨大な城郭を支え続けている。あの重厚な剛性と、隙間のない整合性。

あるいは、自作PCもそうだ。 最新のパーツをただ組み合わせるだけではない。ケース内のエアフローを考え、ケーブル一本の這わせ方にまでこだわる。その整然とした内部構造に蓋をした瞬間、「このマシンは期待に応えてくれる」という静かな信頼が生まれる。

私にとっての「良い道具」の条件。 それは、この石垣やPCのように、確かな「構造美」と「剛性」を感じさせるものだ。

「カチッ」という感触がもたらす信頼

そうした視点で電卓を眺めたとき、多くの製品が物足りなく感じてしまった。 プラスチックの軽い打鍵感、押した時に微妙に沈み込む筐体。それらは計算という作業をこなすには十分だが、私の指先を満足させてはくれない。

私が求めているのは、将棋の駒を盤に置いた時のような、あるいは自作PCのスイッチを入れた時のような、明確な「フィードバック」だ。 キーを叩いた瞬間に、指先に伝わる適度な反発。隣のキーを巻き込まない確実な操作感。そして、何より机の上で微動だにしない安定感。

「道具が自分の意志に遅れずについてくる」

この感覚があって初めて、私は思考に没頭することができる。

3万円の電卓、その「剛性」への期待

ネットでカシオのS100を目にしたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは、その「アルミ削り出しのボディ」だった。

プラスチックを成形したものではなく、金属の塊から削り出された筐体。 それは、お城の土台となる巨石のような安心感を予感させた。この重み、この硬さ。これこそが、1978年にあの文房具屋のショーケース越しに感じた「本物の風格」の正体ではないか。

毎年通り過ぎていた「聖地」

そして、調べていくうちに私はある事実に突き当たり、息を呑んだ。 このS100が作られているのは、「山形カシオ」。

山形……。 それは私にとって、非常に縁の深い土地だ。趣味のドライブやツーリングで、毎年必ずといっていいほど走り通っていたのが、山形の国道13号線だった。

地図を確認すると、いつも何気なく通り過ぎていたあの景色のすぐそばに、カシオのマザーファクトリーが存在していたのだ。 「ああ、あそこだったのか」という驚きとともに、点と点が一本の線で繋がったような、不思議な高揚感が込み上げてきた。

技術屋として、一人の「構造愛好家」として。 私は、単に数字を打ち込む機械を探しているのではない。自分が何度も肌で感じた山形の空気の中で、熟練の職人たちが作り上げている「究極の接点」を求めているのだ。

あの日、文房具屋で見つめていた憧れは、今、国道13号線の先に広がる風景と重なり合っている。

第2回 終了


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