
目次(1章〜最終章)
山形へ向かう道と、静かな聖域
私は昔から、よくバイクで山形へ向かった。 国道13号線を南へ走り、山を越え、風を切りながら走る時間は、日常から解き放たれるような特別なひとときだった。
旅の途中で必ず立ち寄る場所があった。 山形空港だ。
フェンス越しに眺める飛行機の離着陸。 そのすぐそばに広がるさくらんぼ園の甘い香り。 あの場所は、技術屋としての好奇心と、旅人としての感性が同時に満たされる“静かな聖域”だった。
家族とは車で銀山温泉や萬國屋へ出かけた。 湯気の立ち上る温泉街の灯り、静かに流れる時間── そのどれもが、私の中で「山形」という土地を特別なものにしていった。
山形カシオとの出会いと、青がつながる瞬間
そんな山形に、カシオ計算機株式会社 山形工場──いわゆる“山形カシオ”があると知ったのは、実はごく最近のことだった。 何度も国道13号線を走り、すぐ近くを通っていたはずなのに、その存在に気づいていなかった自分に驚いた。
しかもそこは、OCEANUSをはじめとする高級ラインを担う“マザーファクトリー”。 山形空港で見上げた空の青と、OCEANUSの青が、静かに一本の線でつながった瞬間だった。
当時、私はOCEANUSのS3000シリーズに強く惹かれていた。 あの深い“オシアナスブルー”は、山形空港で見上げた空の色と重なり、いつか手に入れるべき“到達点”のように思えた。 だからこそ、私はコツコツと貯金を続けていた。 山形の空の青を腕に宿すその日を、静かに待ちながら。
三つの候補と、揺れる心
しかし、心は次第に揺れ始める。 迎え入れるべき一本を選ぶため、私は三つの候補の間で深く悩んでいた。
- S3000:薄さと青の美しさを極めた名機
- S3400:後継として登場した、より洗練された薄型電波ソーラー
- G1100:GPSハイブリッド電波ソーラーを搭載した、多機能の最高峰
S3000の青は、山形空港で見上げた空そのものだった。 深く、澄んでいて、どこか凛としている。 あの青を腕に宿すことは、私にとって“山形の記憶”を身につけるようなものだった。
一方で、S3400には後継機らしい洗練があった。 さらに薄く、軽く、日常に溶け込む美しさがある。 S3000ほどの深い青ではないが、現代的で実用性が高い。
そしてG1100。 GPSハイブリッド電波ソーラーという当時の最高峰の機能を備え、旅をする私にとっては理想的な“相棒”だった。 しかし、機能が増えれば厚みも増す。
“13.7mm”という現実
S3000は約11.8mm。 S3400はさらに薄い。 G1100は14mm前後。
バイクのグローブをはめ、ジャケットの袖を通すたび、私は“時計の厚み”という現実に向き合わざるを得なかった。 そして、私の腕でどうしても気になってしまった数字があった。
「13.7mm」
この数字を境に、袖口の干渉が一気に増える。 バイクにまたがり、ハンドルを握るときの違和感。 そのわずかな厚みが、旅の集中を削いでしまう。
青か、薄さか、機能か。 私は何度も腕に時計を当て、袖口の感触を確かめ、カタログの数字を見比べ続けた。
どれも魅力的で、どれも“あと一歩”届かない。 そんな日々が続いた。
しかし、この迷いこそが、後に訪れる“答え”への伏線になっていたことを、当時の私はまだ知らなかった。
第1章 終了
