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第6回:デジタル化とISDN

電話は、長いあいだ「機械の音が聞こえる道具」だった。

受話器を取れば、 どこか遠くの電話局で交換機が動き、 パチパチと接点が切り替わり、 ガチャガチャと回線が選ばれていく。

電話は、 動いていることが“音”でわかる機械だった。

しかし、電話が社会の中心に座るようになると、 その機械は限界を迎え始める。

  • 通話が増えすぎる
  • 機械が摩耗する
  • ノイズが混じる
  • 長距離で音が劣化する

便利になればなるほど、 アナログの仕組みはその重さを露わにしていった。

「もっと速く、もっと確実に、もっと遠くへ」

社会の要求は、 もはや機械式の交換機では支えきれない。

そして電話は、 静かに、しかし確実に “電子の世界”へと歩み始める。

機械が動く音は消え、 交換機は静かに、正確に、膨大な通話を処理するようになる。

電話はここで、 見える機械から、見えない仕組みへ。

アナログからデジタルへ。 物理から電子へ。 電話は、次の時代へ踏み出す。


電話の歴史シリーズ
 全体目次(第1回〜最終回)


目次(上)
  1. アナログ電話の限界
    1. アナログ信号の宿命 ― ノイズと減衰
      1. 増幅器のジレンマ
    2. アナログ時代の“恐怖” ― 混信(クロストーク)
      1. プライバシーの欠如
    3. 機械式交換機の限界 ― 動く部品の限界
      1. 電話局が“機械の倉庫”になる
    4. 社会が求めたもの ― もっと速く、もっと確実に
      1. アナログ vs 社会の要求
    5. アナログの限界が、次の時代を呼び寄せた
  2. 電子交換機の登場
    1. 交換機の進化 ― 物理から電子へ
      1. 第1世代:ステップ・バイ・ステップ(1890s〜1970s)
      2. 第2世代:クロスバ交換機(1930s〜1980s)
      3. 第3世代:電子交換機 ESS(1970s〜)
    2. クロスバ交換機 ― “縦と横”で効率化した中間世代
      1. しかし、限界も残った
    3. 電子交換機の本質 ― “プログラムが電話をつなぐ”
      1. SPCが可能にした新しいサービス
    4. 自動交換機の「1台あたり収容回線数」の飛躍
      1. 世代別の代表的な収容規模(1台あたり)
    5. 電話局の風景が変わる ― 巨大な棚から電子ラックへ
      1. メンテナンスの革命
    6. 電子交換機が変えたもの ― 電話の「当たり前」が変わる
      1. 電子化がもたらした“見えない安心”
  3. NTT民営化と通信自由化
    1. 国営の始まり ― 電話は「国家の仕事」だった
      1. 電話事業の国営化
      2. 戦後の再出発 ― 日本電信電話公社の誕生(1952年)
    2. 電電公社からNTTへ ― 1985年の大転換
      1. 民営化の背景
    3. 通信自由化 ― 新電電(NCC)の登場
      1. 自由化がもたらした変化
    4. 相互接続(インターコネクション) ― 競争を可能にした“見えない技術”
      1. 電子交換機が果たした役割
    5. 料金体系の変化 ― 距離の壁が消えていく
      1. 「一律料金」「定額制」への第一歩
    6. 端末自由化 ― 家庭の電話が“選べる”ようになった
    7. 「選ぶ」時代の象徴 ― 識別番号 0077・0088
    8. 独占 vs 自由化 ― 何がどう変わったのか
  4. ISDNの登場 ― 電話網が“完全デジタル化”した瞬間(1988〜)
    1. INSネット64 ― 加入者線のデジタル化が始まる(1988)
    2. 2本のBチャネル ― 同時に2つの通信ができる世界
    3. i・ナンバーとダイヤルイン ― 家庭に複数番号の文化が生まれる
    4. TA(ターミナルアダプタ) ― 家庭の通信コーナーの主役
    5. INSネット1500 ― 企業ネットワークの基盤へ(1990年代前半)
    6. 128kbpsの衝撃 ― MP接続が生んだ“未来の速度”
    7. フレッツ・ISDN ― 日本のインターネット爆発の引き金(1999)
    8. End-to-End デジタル化 ― 電話網の完成形
  5. モデムとインターネット前史 ― ピーヒョロロ音がつないだ時代(1990年代)
    1. モデムの仕組み ― ピーヒョロロ音の正体
      1. ピーヒョロロ音の意味
    2. アナログモデムの弱点 ― 「音」による通信の限界
      1. 生活音で回線が切れることも
    3. 速度の進化 ― 14.4kbpsから56kbpsへ
      1. 56kbpsの真実
    4. ダイヤルアップ接続 ― 電話とネットは同時に使えない
    5. テレホーダイ ― 深夜23時の“全国儀式”(1995〜)
      1. 当時の“あるある”
    6. 接続の「儀式」 ― ネットに入るまでの5ステップ
      1. ステップ1:接続ボタンを押す
      2. ステップ2:ダイヤル音
      3. ステップ3:モデム同士の会話
      4. ステップ4:認証
      5. ステップ5:接続完了
    7. 画像の読み込み ― 上から一行ずつ降りてくる世界
    8. プロバイダの誕生 ― インターネットの入口ができる
    9. モデム時代の限界 ― 次の時代を呼び寄せたもの
    10. フレッツ・ISDNへ ― インターネット爆発の前夜(1999)
    11. 次章へ ― 電話が家を離れ、社会が動き始める

アナログ電話の限界

電話は社会のすみずみまで行き渡ったが、 その便利さの裏で アナログという仕組みの限界 が静かに姿を現し始める。

電話はつながる。 しかし、が追いつかない。

アナログ信号の宿命 ― ノイズと減衰

アナログ電話は、声そのものを電気の波として送る仕組みだった。 そのため、距離が伸びるほど

  • 音が弱くなる(減衰)
  • 雑音が混じる(ノイズ)
  • 声が歪む

といった問題が避けられなかった。

長距離通話では、 「聞こえるけれど、はっきりしない」 そんな不満が常につきまとった。

増幅器のジレンマ

アナログ信号を遠くまで届けるために、途中に 増幅器 を置いて信号を強くした。 しかしアナログの厄介な点は、

ノイズも一緒に大きくしてしまう

ということだった。

遠くへ行くほど雑音も育つ どれだけ増幅しても元の音質には戻らない 劣化は蓄積し続ける

これはアナログの構造的な限界であり、 努力では克服できない問題だった。

アナログ時代の“恐怖” ― 混信(クロストーク)

アナログ回線では、隣の線に電気が漏れ、 他人の会話が聞こえてしまう 混信 が起きた。

これは、プライバシーを守るべき通信手段としては致命的だった。

プライバシーの欠如

他人の会話が聞こえる 企業の機密が漏れる 緊急通話が聞き取りづらくなる

自動交換でプライバシーを得たはずの時代に、 技術的欠陥がそれを脅かしていた。

機械式交換機の限界 ― 動く部品の限界

ステップ・バイ・ステップ交換機は偉大な発明だったが、 物理的な限界を抱えていた。

  • 部品が摩耗しやすい
  • 故障が増える
  • 保守に人手が必要
  • 都市化によるトラフィック増に対応できない

電話局では、交換機の「パチパチ音」が鳴り響き、 技術者たちが常に修理に追われていた。

電話局が“機械の倉庫”になる

ステップ・バイ・ステップ交換機は、 巨大な棚のような機械を何列も並べて構成されていた。

電話局は機械を収めるための巨大な倉庫 加入者増加のたびに設備を増設 都市部では土地そのものが足りなくなる

アナログの仕組みは、 物理的にも限界に近づいていた。

社会が求めたもの ― もっと速く、もっと確実に

高度経済成長が始まると、社会は電話に新しい要求を突きつけた。

  • 全国規模で連絡したい
  • 行政は迅速な情報伝達を求める
  • 家庭でも電話が当たり前になり回線が逼迫

「つながればいい」から 「いつでも、確実に、クリアにつながる」 へ。

アナログ vs 社会の要求

課題アナログの現実社会の理想
音質距離で劣化・ノイズ混入どこまでもクリア
接続物理スイッチ依存(低速)瞬時の接続
保守摩耗・清掃・交換が必須故障しない
拡張設備増設に広大な土地省スペースで大量収容

アナログでは、もはや社会の要求を支えきれなかった。

アナログの限界が、次の時代を呼び寄せた

ノイズ、減衰、混信、摩耗、トラフィック増、物理的限界。 これらは電話を “電子の世界” へと押し出していった。

電子交換機の登場

アナログ電話網は、ノイズ・混信・摩耗・物理的限界など、 避けられない問題を抱えていた。

その限界を超えるために、 1960年代後半〜1970年代 に世界中で導入が進んだのが 電子交換機(Electronic Switching System:ESS) である。

ここから電話は、 「動く機械」から「電子で制御される仕組み」へ 大きく姿を変えていく。

交換機の進化 ― 物理から電子へ

電話交換機は、約100年の間に 物理 → 機械 → 電子 → ソフトウェア という進化をたどった。

第1世代:ステップ・バイ・ステップ(1890s〜1970s)

  • 利用者のダイヤル操作が機械を直接動かす
  • カチッ、カチッ と接点が動く
  • 機械的で摩耗しやすい
  • 収容規模:数百〜数千回線

第2世代:クロスバ交換機(1930s〜1980s)

  • 縦と横のバーを交差させて接点を作る
  • 共通制御方式で空きルートを高速探索
  • ガチャン、ガチャン と重厚な音
  • 収容規模:数千〜1万数千回線

第3世代:電子交換機 ESS(1970s〜)

  • 半導体・IC・メモリで制御
  • ほぼ無音(冷却ファンの音のみ)
  • プログラムで動作を決める
  • 収容規模:数万〜数十万回線

この進化だけでも、電子交換機が“桁違い”であることがわかる。

クロスバ交換機 ― “縦と横”で効率化した中間世代

クロスバ交換機は、ステップ式の弱点を大きく改善した。

  • 縦と横のバーを交差させて接点を作る
  • 共通制御方式で空きルートを一気に探索
  • 大規模化に強い

しかし、限界も残った

物理的な接点 機械的な動作 摩耗による故障

これらは避けられなかった。

電子交換機の本質 ― “プログラムが電話をつなぐ”

電子交換機の最大の革命は、 接続のルールを 「配線」ではなく「プログラム」 で決めるようになったことだ。

これを SPC(Stored Program Control:蓄積プログラム制御) と呼ぶ。

  • 機械を作り替えなくてもサービスを追加できる
  • ソフトウェア更新で機能を拡張できる
  • 電話が“コンピュータ化”した瞬間

SPCが可能にした新しいサービス

転送電話 キャッチホン(割り込み通話) ナンバーディスプレイ 着信拒否 時間帯別サービス

電子交換機は、 “電話の機能”そのものを進化させる土台になった。

自動交換機の「1台あたり収容回線数」の飛躍

電子交換機は、 1台で扱える回線数が桁違いに増えた。

世代別の代表的な収容規模(1台あたり)

世代方式代表的な収容規模特徴
第1世代ステップ・バイ・ステップ数百〜数千回線巨大な棚が何列も必要
第2世代クロスバ数千〜1万数千回線大規模局に対応
第3世代電子交換機 ESS数万〜数十万回線都市全体を1台でカバー可能

この“収容力の飛躍”こそ、 都市化と通信量の爆発的増加に耐えられる理由だった。

電話局の風景が変わる ― 巨大な棚から電子ラックへ

ステップ式交換機の時代(〜1970年代)、 電話局は巨大な棚のような機械が何列も並ぶ「機械の森」だった。

電子交換機の導入(1970年代後半〜1990年代)により、 その風景は劇的に変わる。

  • 巨大な棚 → コンパクトな電子ラック
  • 広大な床面積 → 少ないスペースで大量収容
  • 騒音のある機械室 → 静かな電子制御室

メンテナンスの革命

以前:接点の掃除、油差し、摩耗部品の交換 電子化後:基板を差し替えるだけ

インフラ運営の合理化は、 ここで一気に進んだ。

電子交換機が変えたもの ― 電話の「当たり前」が変わる

電子交換機の導入は、 単なる技術革新ではなかった。

それは、 電話という社会インフラの前提を変える出来事だった。

  • 通話品質が安定する
  • 接続が速くなる
  • 混信がほぼ消える
  • 長距離でもクリアに聞こえる
  • 故障が減り、止まらない電話網が実現する

電子化がもたらした“見えない安心”

交換機が静かに働き続ける 通話が安定し、品質が均一になる 社会全体が“電話に依存できる”ようになる

電子交換機は、 電話を「社会の基盤」として完成させた。

NTT民営化と通信自由化

電子交換機の普及によって、 日本の電話網は「止まらない・高品質・大規模」なインフラへと進化した。

しかし、その前提には 「国が通信を握っていた時代」 が長く続いている。

この章ではまず、 いつ・なぜ国営になり、いつ・なぜ民営化されたのか という流れを押さえたうえで、 通信自由化の意味を見ていく。

国営の始まり ― 電話は「国家の仕事」だった

日本の電話は、最初から民間ビジネスだったわけではない。 むしろ長いあいだ、国が直接運営するインフラ だった。

電話事業の国営化

  • 1890年代:電話事業が本格的に国営化
    • 電信(電報)と同様に、国家が管理すべき重要インフラと位置づけられた
    • 軍事・行政・外交に不可欠な通信手段だったため

その後、戦前・戦中を通じて、 電話・電信は一貫して 国の直営事業 として運営される。

戦後の再出発 ― 日本電信電話公社の誕生(1952年)

  • 1952年:日本電信電話公社(電電公社)発足
    • それまでの逓信省直営から「公社方式」へ
    • 国が全株を持つが、企業的な経営を行う組織として再編
    • 戦後復興とともに、全国への電話普及を一気に進める役割を担う

ここから 1950〜70年代の「電話網の全国整備」 が進み、 第1章・第2章で見てきたような アナログ交換機 → クロスバ → 電子交換機 という技術進化も、この公社体制のもとで行われた。

電電公社からNTTへ ― 1985年の大転換

戦後の日本の通信を支えてきたのは、 国営企業である 日本電信電話公社(電電公社) だった。

しかし1980年代に入り、世界的に 「通信は競争で発展する」 という考えが広がり始める。

日本もその流れに乗り、 1985年4月1日、電電公社はNTTへと民営化された。

民営化の背景

  • 電話が全国に普及し、「独占で整備する段階」が終わりつつあった
  • 電子交換機の普及で通信の安定性が飛躍的に向上していた
  • 新サービスを迅速に提供するには、民間の機動力が必要だった
  • 世界的に通信自由化・民営化の流れが加速していた

「国が整える時代」から「競争で磨く時代」へ。 その境目が、1985年だった。

通信自由化 ― 新電電(NCC)の登場

民営化と同時に、 日本は 通信自由化 に踏み切った。

それまで電話サービスは電電公社の独占だったが、 1985年以降は民間企業も参入できるようになった。

  • 長距離電話:DDI(第二電電)、日本テレコム など
  • 国際電話:KDDとの競争
  • データ通信:専用線・パケット通信の競争

自由化がもたらした変化

料金が下がる サービスが多様化する 企業が競争で品質を高める 新技術の導入が加速する

特に長距離電話の料金競争は激しく、 「市外通話が安くなる」という実感を多くの家庭が持った。

相互接続(インターコネクション) ― 競争を可能にした“見えない技術”

自由化が成立した最大の理由は、 新規参入企業(NCC)がNTTの回線と接続できたこと にある。

これを インターコネクション(相互接続) と呼ぶ。

電子交換機が果たした役割

電子交換機は、 物理的な工事を最小限にしながら、論理的に回線をつなぐ ことができた。

  • 新電電の回線とNTTの回線をソフトウェアで接続
  • 交換機同士が自動でルートを選択
  • 事業者が増えてもネットワークが混乱しない

もし交換機が機械式のままだったら、 自由化は「工事だらけ」で現実的ではなかった。

電子交換機は、 自由化を技術的に支えた“縁の下の力持ち” だった。

料金体系の変化 ― 距離の壁が消えていく

自由化以前、長距離電話は非常に高価だった。

  • 市内:比較的安い
  • 市外:高い
  • 県外:さらに高い
  • 国際:桁違いに高い

しかし 自由化+電子化+光ファイバー化 が進むことで、 距離によるコスト差が徐々に意味を失っていく。

「一律料金」「定額制」への第一歩

  • デジタル化で距離による減衰がほぼ消える
  • 中継交換機のコストが下がる
  • 競争で料金が下がる
  • 利用者が「距離を気にしない」時代へ

現代の「全国一律料金」「かけ放題」「定額制」は、 この1985年前後の構造変化の延長線上にある。

端末自由化 ― 家庭の電話が“選べる”ようになった

1985年は、回線だけでなく 電話機そのものも自由化(端末自由化) された年でもある。

それまで家庭の電話は 電電公社からの貸与(黒電話) が基本だった。

自由化後は、

  • コードレス電話
  • 多機能電話
  • デザイン電話
  • 留守番電話機能付き電話

など、家庭に“選ぶ楽しさ”が生まれた。

「家の電話を選べるようになった」 これは、読者にとって最も身近な自由化の実感かもしれない。

「選ぶ」時代の象徴 ― 識別番号 0077・0088

自由化直後、 長距離電話をどの会社でかけるかは 識別番号をダイヤルの前に付ける ことで選んだ。

  • 0077 → DDI(第二電電)
  • 0088 → 日本テレコム

番号を覚えて、 「今日はこっちの会社でかけてみよう」と選ぶ。

“選ぶ通信”が、指先の操作として可視化された瞬間 だった。

独占 vs 自由化 ― 何がどう変わったのか

項目電電公社(国営・独占)時代NTT・NCC(民営・自由化)時代
事業主体国営(公社)民間企業(NTT+NCC)
端末(電話機)公社からの貸与(黒電話中心)好きな電話機を購入可能
長距離料金非常に高価競争で大幅値下げ
新機能の追加機械交換が必要(年単位)ソフト更新で迅速
付加サービス基本通話のみキャッチホン、転送、ダイヤルQ2など
利用者の立場「与えられた通信を使う」「選んで使う」

1890年代の国営化 → 1952年の電電公社 → 1985年のNTT民営化・自由化 この流れは、 日本の通信が 「国家の道具」から「生活者が選ぶサービス」へ 変わっていく物語でもある。

ISDNの登場 ― 電話網が“完全デジタル化”した瞬間(1988〜)

電子交換機(ESS)が普及した 1970年代〜1980年代前半、 電話局の内部はすでにデジタル化されつつあった。

しかし、ひとつだけ“アナログの影”が残っていた。

それは―― 家庭から電話局までの「加入者線」 である。

どれだけ交換機が電子化されても、 家の壁から伸びる電話線はアナログのまま。 その区間では、ノイズも減衰も混信も避けられなかった。

この最後のアナログ区間をデジタル化するために、 1988年、日本でISDN(INSネット64)が正式サービスとして始まる。

ここから電話網は、 端から端までデジタルでつながる“完全デジタル時代” に突入する。

INSネット64 ― 加入者線のデジタル化が始まる(1988)

ISDN(Integrated Services Digital Network)は、 音声もデータも同じデジタル回線で扱う という革命だった。

  • 64kbpsのデジタル回線
  • ノイズが乗らない
  • 距離で劣化しない
  • 音質が一定
  • データ通信が高速化

アナログ電話の「サーッ」という雑音は消え、 静寂の中に声だけが浮き上がるようなクリアな音質 が実現した。

これは、利用者にとって“未来の音”だった。

2本のBチャネル ― 同時に2つの通信ができる世界

INSネット64の最大の特徴は、 Bチャネル(64kbps)×2本 を同時に扱えること。

これにより、

  • 通話しながらインターネット
  • FAXと電話を同時に使う
  • テレビ会議+データ通信

といった、アナログでは不可能だった使い方が可能になった。

家庭の通信が、 初めて“マルチタスク”を手に入れた瞬間だった。

i・ナンバーとダイヤルイン ― 家庭に複数番号の文化が生まれる

ISDNが家庭で歓迎された理由のひとつが、 1本の回線で複数の電話番号を持てる という仕組みだった。

  • i・ナンバー(家庭向け)
  • ダイヤルイン(企業向け)

これにより、家庭ではこんな使い方が広がった。

  • 親の電話番号と、子どものネット用番号を分ける
  • 電話とFAXを別番号にする
  • 仕事用とプライベート用を分ける

アナログ時代の「家に1つの番号」という常識が崩れ、 家庭内の通信文化が大きく変わった。

TA(ターミナルアダプタ) ― 家庭の通信コーナーの主役

ISDNはデジタル回線だが、 家庭の電話機はほとんどがアナログだった。

そこで登場したのが TA(ターミナルアダプタ)

  • アナログ電話機をISDNで使える変換装置
  • FAXや留守電もそのまま使える
  • PC接続用のポートも搭載
  • 家庭の通信コーナーの“主役”に

「電話機を買い替えなくてもデジタル化できる」 この互換性が、ISDN普及の大きな追い風になった。

INSネット1500 ― 企業ネットワークの基盤へ(1990年代前半)

企業向けには INSネット1500(1.5Mbps) が登場。

  • 多チャネルを束ねて利用
  • PBX(構内交換機)のデジタル化
  • 大規模オフィスの通信を統合
  • 企業ネットワークの近代化を加速

ISDNは、企業の通信インフラを アナログPBX → デジタルPBX へと進化させた。

128kbpsの衝撃 ― MP接続が生んだ“未来の速度”

ISDNは2本のBチャネルを束ねることで、 128kbps の通信が可能になった(MP=マルチリンクPPP)。

これは当時のアナログモデム(56kbps)の 2倍以上

  • Webページが一気に開く
  • 画像が高速で表示される
  • ダウンロードが現実的な速度になる

当時のユーザーにとって、 128kbpsは“未来の速度”だった。

フレッツ・ISDN ― 日本のインターネット爆発の引き金(1999)

1999年、NTTは フレッツ・ISDN を開始する。

  • 月額定額でインターネットが使い放題
  • 時間課金のストレスから解放
  • 家庭のネット利用が一気に拡大

「通話料を気にせずネットができる」 これは、当時の家庭にとって革命だった。

ISDNは、 日本のインターネット普及の“火付け役” となった。

End-to-End デジタル化 ― 電話網の完成形

ISDNの価値を理解するには、 アナログ時代との比較がわかりやすい。

家庭 → 加入者線 → 電話局 → 全国網 すべてがデジタルでつながる“完全形”が実現した。

区間アナログ時代ISDN登場後(完全デジタル)
家庭内声をそのまま送信声をデジタル信号に変換
加入者線アナログの電気の波デジタルパルス
電話局内電子交換機でデジタル処理電子交換機で処理(変換不要)
局間伝送PCMによるデジタル伝送PCMによるデジタル伝送

ISDNは、 アナログから光へ向かう“中間の橋” として、 通信史に確かな足跡を残した。

モデムとインターネット前史 ― ピーヒョロロ音がつないだ時代(1990年代)

ISDNが登場する以前、 家庭のインターネットは アナログ電話回線 を使っていた。

電話線は本来「声」を送るためのもの。 そこに「デジタルデータ」を無理やり流し込むために生まれたのが――

モデム(Modem:変調・復調装置) である。

1990年代のインターネットは、 あの「ピーヒョロロ……ガーッ」という音とともに始まった。

モデムの仕組み ― ピーヒョロロ音の正体

モデムは、 デジタル信号(0と1)をアナログの“音”に変換して送る装置 だった。

  • PCのデジタル信号 → モデムが「音」に変換 → 電話回線を通る → 相手側モデムがデジタルに戻す

この「音」が、あの特徴的な接続音だった。

ピーヒョロロ音の意味

  • 「ピー」:回線の状態確認
  • 「ヒョロロ」:通信方式の交渉
  • 「ガガガガ」:データ転送の同期

つまり、あの音は “2台のモデムが会話している音” だった。

アナログモデムの弱点 ― 「音」による通信の限界

アナログモデムは、音を使うという物理的制約を抱えていた。

生活音で回線が切れることも

  • 近くで大声を出す
  • 掃除機をかける
  • 電話線にノイズが乗る

こうした“生活音”が通信に影響し、 突然切断されることも珍しくなかった。

アナログの繊細さが、 次章のISDNや光ファイバーの「強固さ」を際立たせる。

速度の進化 ― 14.4kbpsから56kbpsへ

モデムの通信速度は、 1990年代を通して急速に進化した。

年代主な速度体感
1991頃2.4〜9.6kbps画像はほぼ無理
1993頃14.4kbpsWeb閲覧が現実的に
1995頃28.8kbps画像が“待てば表示”
1997頃33.6kbps実用的な速度に
1998頃56kbps(V.90)当時の“最速”

56kbpsの真実

  • 下り(ダウンロード)だけが56kbps
  • 上りは33.6kbpsが限界
  • ノイズが多いと40kbps程度しか出ないことも多かった

「理想と現実のギャップ」も、当時の“あるある”だった。

ダイヤルアップ接続 ― 電話とネットは同時に使えない

アナログモデムの最大の弱点は、 電話とインターネットが同時に使えない ことだった。

  • ネット中は話し中になる
  • 家族が電話を使いたいと怒られる
  • 長時間接続すると通話料が高額になる

1990年代の家庭では、 「ネットするから電話しないで!」 という声が日常だった。

テレホーダイ ― 深夜23時の“全国儀式”(1995〜)

1995年に始まった テレホーダイ は、 深夜23時〜翌朝8時まで、特定番号への通話が定額になるサービス。

これがネットユーザーの生活を一変させた。

当時の“あるある”

  • 23時になった瞬間、全国のユーザーが一斉に接続
  • プロバイダが話し中でつながらない
  • 「23時戦争」と呼ばれた
  • 夜型生活が加速

テレホーダイは、 日本のインターネット文化を深夜へと導いた社会現象 だった。

接続の「儀式」 ― ネットに入るまでの5ステップ

今では考えられないが、 当時はネットに入るまでに“儀式”があった。

ステップ1:接続ボタンを押す

PCで「接続」をクリック。モデムが外線発信を開始。

ステップ2:ダイヤル音

「プルルル…」と、プロバイダの番号を呼び出す。

ステップ3:モデム同士の会話

「ピーー、ヒョロロ、ガーッ」 ここで通信方式を交渉。

ステップ4:認証

IDとパスワードを送信し、ネットワークが許可を出す。

ステップ5:接続完了

タスクトレイに「接続済み」。 ここから1分ごとに課金がスタート。

この“儀式”を経て、ようやくインターネットに入れた。

画像の読み込み ― 上から一行ずつ降りてくる世界

モデム時代の象徴的な光景が、 画像が上から一行ずつ表示される あの瞬間。

  • 最初はぼんやり
  • 徐々に解像度が上がる
  • 全体が見えるまで数十秒〜数分

この“待つ時間”も、当時のインターネット体験の一部だった。

プロバイダの誕生 ― インターネットの入口ができる

1990年代前半、日本では プロバイダ(ISP) が次々に誕生した。

  • NIFTY-Serve
  • BIGLOBE
  • OCN
  • IIJ
  • So-net

ユーザーは、

  1. モデムでプロバイダに電話をかける
  2. 認証される
  3. インターネットに接続される

という流れでネットに入っていった。

モデム時代の限界 ― 次の時代を呼び寄せたもの

アナログモデムは便利だったが、 限界も明確だった。

  • 速度が遅い
  • 電話と同時に使えない
  • ノイズに弱い
  • 時間課金が高い

これらの問題を解決するために登場したのが ISDN(第4章) だった。

ISDNは、

  • 64kbps×2=128kbps
  • 通話とネットの同時利用
  • ノイズなし
  • デジタルの安定性

という、モデム時代の“理想形”を実現した。

フレッツ・ISDNへ ― インターネット爆発の前夜(1999)

1999年の フレッツ・ISDN によって、

  • 定額制
  • 常時接続に近い使い方
  • 家庭のネット利用の爆発

が起こる。

モデム時代は、 インターネット普及の“助走期間” だった。

そしてISDNが、 次の第7回(携帯)・第8回(スマホ)へとつながる “デジタル通信の基盤” を作った。

次章へ ― 電話が家を離れ、社会が動き始める

モデムが鳴り、深夜のテレホーダイに全国が駆け込み、 家庭の中でインターネットがゆっくりと広がっていった1990年代。

しかし、この時代の通信革命は、 まだ“家の中”で完結していた。

同じ頃、もうひとつの大きな変化が静かに進んでいた。

電話が、家から離れ、ポケットへ移動し始めたのである。

ショルダーホン、ムーバ、折りたたみ携帯。 「外で話せる」というだけだった携帯電話は、 やがてメールを持ち、カメラを持ち、 社会のコミュニケーションそのものを変えていく。

次章では、 携帯電話がどのように誕生し、普及し、 そして“生活の中心”へと成長していったのか。

その物語をたどっていく。

第6回 終了


 

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